手前の川は草津川である。草津川はトンネルの上に川が流れているという極めて珍しいもので、

「天井川」といわれた。  昭和になって、川に沿って桜が植えられ、今は桜の名所になっていて、

とても美しい。 草津川は移されたので現在は流れていない。

遠くの山は比叡の山々である。親子3人連れは、神社仏閣参詣のかえりであろう。

印象的なのは、興味深そうに見ている地元の子である。
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厳密にいうと、中山道はここが終点である。


東海道との分岐点で本陣、脇本陣とも2軒,旅籠70軒を持つ大きな宿である。

家の数は586軒、宿内人口は2351人。


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追分のすぐ近くには、本陣の一つである

田中七左衛門本陣がある。

当時の姿をとどめ公開されている。


敷地は、1300坪もある広大なもので、建坪は468坪、

部屋数は30余、裏には厩(うまや)もあり

立派な構えの門を潜ると、5街道随一と云われた

最大規模の本陣である。



上段の間や湯殿、各種広間など見るだけでもかなりの時間がかかる。

田中家が個人でこの古い由緒のある建物を守ってきたものを当時のままに復元し公開している。

国の指定史跡である。 

個人で保存している所って多いですね。何時まで保てるのか判りません。

展示されている宿帳には、著名人がずらりと並んでいる。

例えば、浅野内匠頭、新選組・(土方歳三、斉藤一、伊藤甲子太郎、など32名)、徳川慶喜などある。

そして、浅野の後に、皮肉なことに九日後に吉良上野介が泊まった ことが記録されている。


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文化十13年(1816)建立の高さ4米の石造の常夜燈兼用(火袋つき)の道標には

「 右東海道いせみち 」 「 左中仙道みのぢ 」 と、刻まれている。 

中山道はこのT字路が起点(終点)なのである。 従って、京・三條大橋に行くには、

この先合流した東海道を歩くことになるのである。 


草津宿は、江戸方の入口の横町道標から始まり、

ここ草津追分を経て、京方の立木神社の南200mにある

黒門までといわれた。 

その長さは11町53間半(約1.3km)程である。



この草津宿の名物は「姥が餅」である。

由来は、信長に滅ぼされた佐々木氏(近江の名門)の忘れ形見を、その乳母が餅を作って

売りながら子供を育てたという故事である。

  「姥が餅
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乳母が幼児に与える乳房を表しているという

小さな餡餅である。



矢橋道標がある。

ここは、東海道と矢橋街道の追分で、 道標には、

「 右やはせ道、これより廿五丁 」 と刻まれている

矢橋街道は、矢橋港まで通じる道で、

江戸時代多くの人に利用されたが、

旧街道は分断されてしまい、今は一部しか残っていない。 





矢橋港から、大津行きの大丸子船 (百石船)が出ていたので、旅人はここから矢橋港に出て、

大津の石場までの約2時間の船旅を楽しんだ。


  「東海道・草津宿」広重

メタボンのブログ 道の右側にある瓢箪屋は旧姥ヶ餅屋の跡である 

瀬田へ廻ろか矢橋へ下ろか 此処が思案のうばがもち 」、と言い囃された餅屋で、江戸時代の旅人は

ここで茶を飲みながら舟にするか大津まで歩くかを思案した。


東風吹くや 春萌え出でし 姥が里」  蕪村