琵琶湖を背景にして町の外れを描いている。

他に、名勝と云われる地があるのに、あえて、避けている。

大名行列の最後尾部分である。しかし、中間の背中を見ると「林」の文字が見える。

これは、広重のスポンサーの版元・錦樹堂の商標である。


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醒ケ井の名は、日本書紀の 「 日本武尊(やまとたけるのみこと)

伊吹山にて大蛇をふみて、山中の雲霧にあい給ひ、御心地なやましたりしが、

此水をのみて醒めたまひぬとなん 」に因むものである。 


あまり涼しきまで 澄みわたりて 誠に身にしむばかりなり」 東関紀行
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古来から 名水の誉れ高く、醒ヶ井養鱒場では

清流の水で鱒を育っていることでも有名である。


鍾乳洞から湧出する水温・水量の清水が宿内を流れ

古典文学に多く登場する。






天保時代の家数は135軒、人口は539人で、本陣、脇本陣が各1軒、旅籠は11軒。

この宿場の名物は、3水4石である。

居醒の清水、十王水、西行水の3水

蟹石、日本武尊の腰掛け石、鞍掛石、影向の4石である。


  「十王水」
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鞍掛け石は、日本武尊が鞍を掛けて休まれた石。 

腰掛け石は、武尊が腰を掛けて清流で伊吹山の

毒気を清められた場所である。


影向石は源海寺の竹林にあったが、名神高速道路の

工事で池の周りに移された。 


道に沿って流れるのは、 いたるところから湧きでる湧水

を水源とした 地蔵川である。

水が澄んで美しいので、清流しか育たないと言われる

バイカモ が、夏には梅に似た白い花を咲かせる。 

また、冷たい湧水を好む ハリヨ という小魚も生息している。


又、地蔵川では、夏は心太、素麺を冷やして旅人に出した。

    (木曽名所図会)より


  



「問屋場跡」

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樋口山 という料亭が、 本陣跡 である。

問屋を務めていたのは 川口家 であるが、

問屋場の一部が資料館になっていた。 

江戸時代初期までさかのぼることができるといわれる。


近くの了徳寺には、お葉つきイチョウの木がある。

葉にイチョウの実がなるという珍しいもので、

昭和四年に天然記念物に指定された。







地蔵川の小さな橋を渡る。  道が二つに分かれていて、左が十王水。 前述の三水の一つ。 

十王 と書かれた石灯があり、こんこんと清水が涌いている。

 「西行水
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右に行くと、江戸時代、川を下り、琵琶湖にでる

船着き場 があったという。 
中山道は左の道を行く。
その先に 泡子塚 があり、ここから涌くのが 西行水 である。


三水の一つである。  岩の上に、

「 仁安三戌子年秋建立 」の五輪塔があり、
「 一煎一服一期終即今端的雲脚泡 」 の十文字が

刻まれている。


これに纏わる西行の伝説が残っていた。

『西行法師が東遊のときここに立ち寄り、水の畔で休憩していたら、茶屋の娘が西行に
恋をし、西行が立ち去った後、西行の飲み残したお茶を飲んだところ、懐妊し男の子を
出産した。  関東からの帰途、西行はこの茶屋で休憩し娘より一部始終を聞いた。 
西行は児を熟視して、「今一滴の泡変じてこれ児になる。もし我が子ならば元の泡に帰れ 」 と祈り、
「水上は  清き流れの  醒ケ井は  浮世の垢を  すすぎてやまん 」
と詠ったところ、児はたちまち消えて、元の泡になった。
西行は 「 実の我が子なり!! 」と、この場所に石塔を建てた。 』
というものである。