多摩川という字は、多磨、太婆、玉川、多麻などの字を充てられていた。
名称の由来は諸説あり、よくわかっていない。万葉集 東歌に「多麻河」として登場するが、
835年 (承和 2年)、中央から発せられた官符 では丸子の渡し 近傍をもって
「武蔵国 石瀬河」と呼称され、11世紀の更級日記 にも同名で現われている
ウィキペディアより
水質・水苔に優れていたので、鮎は味が良く、江戸の人に人気があった。
絵を見ると、裸の子供が鮎を見ている。どうも、鮎を買いそうな感じです。
向うの洲では、投網を打っています。
多摩川の清流には鮎も多く、絵には釣竿をかついだ人や釣糸を垂れる人、
四つ手網を引き上げる人など、鮎をとる人々が点在しています。
秋の鮎は初夏の若鮎に対して落鮎(おちあゆ)または錆鮎と呼ばれ、
『柳多留』に「玉川の秋は景色も鮎も錆」の句があります。
鮎の旬(しゅん)は7月中旬から約1ヶ月といわれ、水垢だけを餌にするため
腸に生じた香気と渋味が喜ばれます。
江戸時代の料理書にも落鮎の料理は少ないのですが、
『黒白精味集』(1746)には、子持鮎の色付炙(いろつけやき)、
炙浸(敷かつお)、冷煮物(やき鮎、ひしこ、青まめ)などがあります。
土橋では、旅人が渡っています。水量が少ないので安心して渡れます。
多摩川は、その清澄さで、6玉川の一として歌に詠まれ、広重の「雪月花・玉川鮎漁」
などの絵に描かれた。
「遊歴雑記」には、玉川羽村の鮎籠を記している。
「春の末より秋の末まで、鮎の魚を掬い取る事佳興一品なり。
士人は鵜の鳥を6,7羽づつ舟に乗りだし綱をつけてあやどり遣府、その技の手練なる
又賞すべし。されど鵜の喉を締めて鮎を吐かせる様、さりとて無慙にこそ、あるひは、
士人竹籠を腰に提げ、浅瀬に立ちて鮎を汲有り。又は、鮎籠というものを水中ところどころの
石間に伏せ置きて水下より上がる鮎を取る品あり。その作りは竹を細かく裂き長き籠に作り、
藤蔓を以てところどころ緘たるを、口の方をば水下に向け、石を載せて伏せ置けば、鮎は水下より
上がり来たり、この籠に入れば、全身を跡に引き戻して逃げることを知らず。
やがて籠を引上捕えらるる。
その竹籠長さ75cm、口の周り24cm。2つ合わせて作りたるあり。
又、一つのみつくりたるあり、古きは河原に捨てたるも有り。雅人は、
古く煤びたるをわざわざ求めて、青竹を請筒にして竹籠を見ずに浸し置き、
暑中の花入れとして水の滴るを珍重する人もあり」
