鶴見の名物と云えば、饅頭です。
絵の文では、「橋より此の方に米饅頭(よねまんじゅう)を売家多くこの地の名産とす。
鶴屋などいへるもの尤も旧く慶長の頃より相続するといへり」と、あります。
鶴見の民家の数、120軒。この少数の中で7軒の饅頭屋がこの部落を支えていたのである。
その中でも、特に、鶴屋と亀屋が有名でした。
小麦の皮でなく、米の皮で作ったのが受けたようです。
鶴見橋の下を流れる川は鶴見川。水量が有って、舟が往来しています。
橋の袂には、舟着き場が有り、今、荷物を酒樽らしいものを下ろしています。
街道の両側は、田圃が広がり、松の木の間に茶店が見えます。
「饅頭を食ってしまうと馬に乗り」
江戸に向う人は、もう少しと思ったでしょうし、これから、西へ行く人はこれからだと思ったでしょう。
東海道の道中歌で有名なのが有ります。
♪「お江戸日本橋七つ立ち 初上り
行列そろえて アレアワイサノサ」
河崎から次はこの文句になる。
♪「六郷渡りて川崎の万年屋
鶴と亀とのよねまんじゅう コチャ
神奈川急いで 程ヶ谷へ コチャエー」
1862年9月14日。薩摩藩の行列700名に
外出中の英国人4人が立ち入り、無礼打ちとして
一人を殺傷しました。
これが切っ掛けとなり薩英戦争が起き、
薩摩は敗北しますが、和睦し、以後、
英国と提携していく重要な事件です。
文久2年8月21日(陽暦1862年9月14日)
梅干しが売り物でした。
縁台に座ると、まず、茶うけに梅干しが出ました。
夏は生姜、そして白瓜の梅酢漬けもだした。
土産用の梅干の値段は、竹の皮一包み(10個)16文。
乾いた喉にお茶と梅干はピッタリで美味しかったでしょう。
鶴見を過ぎると、幕末有名になった生麦である。生麦には、「しからき」という評判の店があった。
生麦から子安・神奈川と漁業の盛んな地区がある。
此の辺の浦は、江戸城の専用漁場として、他の地区の舟は出入り禁止です。
毎日のように、押走船(おしおくりぶね)で新鮮な魚をお城へ供給しました。
「押送船(おしおくりぶね)」。
帆と櫓の両方を備え、風雨を問わず運行し、「江戸時代一の快速船」と言われた。




