創立は村上天皇の天歴5年(951)に武州豊島郡人次ヶ原(赤坂4丁目一ツ木台地)の創祀という。
後冷泉天皇の治歴2年(1066)の関東大旱魃には降雨を祈つたとされ、以来祭事が盛んであった。
氷川神社の本社は埼玉県の大宮に鎮座する武蔵国一ノ宮の氷川神社で、
ここから御霊(ミタマ)を分け、各地に氷川神社が祀られました。
どこの氷川神社もご祭神は同じです(素盞鳴尊、奇稲田姫命、大己貴命)。
鳥居とともに神社に欠かすことのできないものが狛犬です。
ある説では、エジプトのスフィンクスが、シルクロードを辿り、中国では獅子となり、
日本では狛犬になったとも言われています。
神様を守護する役割を持っています。
狛犬は参道の両脇にあって、2体でセットになっていて、
右側の狛犬は口を開けた「阿(あ)」左側の狛犬は口を閉じた「吽(うん)」となっている。
この「阿吽(あうん)」は、生き物が口を開けて生まれ、口を閉じて死ぬことから、
万物の始めと終わりを意味するといわれています。
そこから阿吽の呼吸といいます。
江戸時代には徳川家の崇敬が篤く、享保15年(1731)には8代吉宗の命を受けた
老中岡崎城主の水野和泉守忠之によって社殿が造営され、豊島郡赤坂今井台(現在地赤坂6丁目)
に5月26日に遷宮。28日には徳川吉宗の直拝を仰いだ。
江戸七氷川の筆頭とされ、明治元年11月8日に准勅祭社に定められた。
東京十社(他九社は日枝・神田・富岡・根津・芝大・品川・亀戸・王子・白山)
の巡拝コースの一社でもある
「仮名手本忠臣蔵」
この地は三次藩浅野家(忠臣蔵の浅野家の正室の実家)の屋敷があったので、
赤穂藩断絶後は、彼女は、暫くこの地に蟄居していた。
従って、有名な大石内蔵助の南部坂雪の別れ。南部坂は、ここ氷川神社の東にあります。
近くには、長州藩の下屋敷が有り、3万3千坪の敷地が有り、北東部には庭園もあった。
脇参道を歩くと、石段の下の方に「四合稲荷社」が鎮座している。
これは近くに居住してた勝海舟が命名した社で明治中期に合祀された
「故呂古・地頭・本氷川・玉川」の四稲荷社を合祀したときに「五合に一合たらぬ幸いなり」
ということから命名されたらしい。
歴史を感じさせてくれる雰囲気が漂う石段を上がると両脇に獅子が鎮座し、
意外と広めの境内が目に入る。
なかでもひときわ目立つのはイチョウ木。樹齡400年にも及ぶ古木。
簡素な神門の先に社殿がある。木造銅板葺きで本殿は一間社造り。拝殿は三間四面。
全体が朱塗りで、享保15年(1730)に徳川吉宗が建立したものという。
社殿は、吉宗の命でいたって質素にと、華美な彫刻も特にない。

