正式名称「神田神社」。神田祭
おこなう神社として知られる。
神田 ・日本橋・秋葉原・大手町・丸の内・旧神田市場 ・築地魚市場など108か町会の総氏神 である。
一ノ宮に大己貴命 (オオナムチノミコト、だいこく様)、二ノ宮に少彦名命 (スクナヒコナノミコト、えびす様)、三ノ宮に平将門命 (タイラノマサカドノミコト、まさかど様)の3柱を祀る。
伝説
神田明神を崇敬する者は成田山新勝寺 を参拝してはいけないというタブー が伝えられている。
これは朝廷 に対して叛乱を起した平将門 を討伐するため、僧・寛朝 を神護寺 護摩堂の空海 作と
いわれる不動明王像と供に現在の成田山新勝寺へ使わせ乱の鎮圧のため動護摩の儀式を行わせた、
即ち、新勝寺参拝は将門を苦しめる事となるため。
なお、同じく将門を祭神とする築土神社 にも同様の言い伝えがあり、
成田山へ参詣するならば、道中に必ず災いが起こるとされた。将門に対する信仰心は、
祟りや厄災を鎮めることと密接に関わっていたのである。
ウィキペディアより
山王祭と並んで江戸のお祭りとして有名です。
天下祭りと云われ、山王祭りと同じように城内に繰り込むことができます。
当初は、毎年行ってましたが、途中から隔年開催となりました。
935年平将門が天皇を称し反乱を起こしました。しかし、武運我にあらず、
38歳で藤原秀郷に首を討たれました。
京にて、首を晒されます。ところが、奪われたのか、或いは、空を飛んで来たとも言われますが、
江戸の大手町に置かれ葬られました。
家康の入府により、1616年移されて現代の地に至りました。
社運は次第に隆盛し、江戸城の鬼門を守る意味で、守護神として将軍の尊宗も深く、
遂には、江戸総鎮守にまでなりました。
また、野村胡堂 の代表作「銭形平次捕物控」の主人公・銭形平次 が当神田明神下の長屋
に住居を構えていたという設定から、敷地内の本殿右手横に「銭形平次の碑」がある。
銭形平次は架空の人物である。
