絵を見ると、並行する3本の坂道が見えます。一番左は九段坂、或いは田安坂とも言います 。
由来は、土留が九段あったからとも、坂沿いの家が九段あったからとかの説が有ります。
今も、急な坂であり、坂の左は牛が淵という堀があります。これは、銭を積んだ牛車が、
この淵に落ちて、遂に登ることが出来なかったという故実にあります。
九段坂を登ると田安門が有り、千鳥ヶ淵に至る。千鳥の形に名ているからともいう。
隣の中坂との間の町を飯田町と云います。
中坂の途中に、世継稲荷社が有ります。2代秀忠の由来が有ると社史は伝えている。
真ん中の坂が中坂、一番広く、荷車が見えます。
ところが、「東京府資料」によると、
九段坂の幅は16間合、中坂が9間7号、もちのき坂は4間であり、九段坂が一番広い。
(約29m)
しかし、中坂にのみ、荷車があることから上り下りには一番平坦な道だったのでしょう。
右側の坂は、もちの木坂。坂の上の青山家の庭に、もちのきの大木が有ったからともいう。
川は飯田川、橋は俎板橋。火の見の辺りは、荷上げ場になっていて、材木が山積みになっている。
何処の川でも同じだが、いつも舟が一杯である。
荷物を満載した舟、荷上げを待っている舟、江戸は水路で成り立っているという事実が
実感として良く判ります。