錦袋円というのは、江戸では有名な薬で、毒消しと気付に効きました。「東海道膝栗毛」にも、
弥次喜多コンビが「錦袋円と「反魂丹」の二つを持って旅に出てます。
反魂丹は、腹痛の薬。
絵の店は、上野池之端の勘学屋です。この店には、左甚五郎が雲龍を彫り、水戸光圀が揮毫したという
衝立看板が有るというが見当たらない。
店内に見える大きなものがそうでしょうか?
本文によると、「池の端仲町、勧学屋大助これを製っています。その始祖勧学坊了翁僧都は、
一代蔵経建立の志願により、各地の寺院に参籠しました。
ある年、指が大いに腫れた時に、夢の中に、肥前長崎の興福寺の開山如定禅師から
錦の袋から取り出した霊薬を授けられました。
夢から覚めて、すぐにこの薬を作り服用すると痛みがとれました。
それを百人の人に与えれると百人の病がなおりました。そこで、池之端仲町にお店を開いて、
「錦袋円」となづけて販売しました。
そのお金で、東叡山寛永寺に講堂や寮舎、文庫をつくりました。
その座像は、寛永寺にあります。
「故郷へは 錦袋円を みやげなり」
店の構えは間口7間、格子で仕切ってあり客と店は格子越しに商いをして、
薬やお金の受け渡しを行った。
店の外では、鳥が1羽、子供にかかろうとしている。子供も上を見上げて警戒している。
子供の持ってる魚を狙ってるのでしょう。
左手に通い帳を持ってる若者が大声を出して追い払おうとしている。珍しい光景でしょう。
この店は、男ばかりの従業員で成り立っていた。
主人の名は、代々大助を世襲し、勧学寮から婿を迎えて後嗣にした。