馬場の大きさは、長さ6町(654m)、幅は30間(54m)。
1636年に完成、一番古い馬場である。享保年間に(1720年頃)馬場の北側に
松並木が植えられ、農家がやってる茶屋が8軒あった。
名前の由来は、家康の第6子忠輝の生母(高田殿)の庭園として作られたことから
その名がついたという。
後に、中山安兵衛の敵討ちで一躍有名になった(1694年)
馬場の中央に、絵のように真ん中に土手が有りに2分されている。
向こう側では、流鏑馬の練習をしているところで、今、矢を放ったところだが
中ったのでしょうか?
更にその向こうには、小さくはあるが見物人の姿が見える。
こちら側では、弓の遠射の練習をしている。
一人の若党は、矢を拾い、もう一人は記録をしているようだ。
もう一人の方は練習をしないで、肘をついて寝そべり、道を行く女の方を見ている。
絵では見えないが、反対側からも練習をしているようだ。
手前の茶屋の店先には、藤の花が咲き、短冊が揺れているのが判る。
客は、喜んで見惚れているようです。
奥では、宴の様子です。
ここは、雑司ケ谷鬼子母神参詣の人々が多く立ち寄ったという事なので、その帰りかもしれない。
又、植木屋も多く、銘木・銘石も多数あったので、好きな客は其れを眺めての行楽の場でもあった。
