本文によると、「1660年、叶栄雲及び泉市右衛門といえる者開き始めたりと云う。よって今も
大師河原・川中島・稲荷新田 等の村々、塩を製するを以って産業とする者少なからず。
その地風光甚だ佳景なり」
遠くで煙の見えるのは、海水を煮詰めている小屋でしょう。
塩になるまで煮詰めるのは大変な量の薪がいります。近くに、山とかに木が一杯ないとできません。
他に、海水を運んでいる人、塩田で砂を均している人など、色々な人が仕事をしています。
古代においては、ただ、海水を煮詰めるだけであったが、中世頃から砂の上に海水をまき、日に干し、
集めてさらに海水をかけて、こい塩水として鍋で煮詰める「揚浜式」が採用された。
そして江戸時代になると、「入浜式」になった。砂浜に海水を導きいれ、天日と風力で蒸発させ
塩分の濃い海水を家まで煮詰める方式。
赤穂塩の名で知られる赤穂藩も入浜式だった。
(忠臣蔵で有名ですが、塩の生産で藩の財政は豊かだったそうです。その塩を巡っての
吉良との対立が有ったという説もあります)
江戸時代の食塩の大部分は、瀬戸内で生産され、特に、赤穂の塩は高級品として珍重された。
それ以外では、下総の行徳塩も有名であった。
今、出来た塩を舟に積み込む仕事をしています。
喫水の浅い舟ですから、浅い入り江のようです。葦の淵に杭を打ち込んで囲っている。
今の川崎からは想像もできない「水と緑の風景」です。
江戸時代は、このような場所は沢山ありましたから、平坦な砂浜が有れば
全国至る所でこのような光景は見られたでしょう。