「お茶」はしばらくは京都や大阪が中心で江戸ではあまり流行してはいませんでした。
文化は、京阪ですか。
江戸で、お茶を飲み始めるのは元禄年間の頃からだそうで、元禄3年(1690年)に京都・宇治の商人、山本嘉兵衛が日本橋に「山本山」という店を出したのが始まりとなりました。
そして、1738年京都宇治の茶商・永谷宗円が新種の製造法で作った「揉念茶」の企画を持ち込み、
山本山は、この現代の煎茶に似たお茶を気に入り、大々的に売り出し、これが大ヒットして現代の宇治茶を作り出しました。
ただ、お茶はまだまだ高級なモノであって、利用するのは高級武士、裕福な商人であり一部の恵まれた階層だけでした。
ですから、贈り物や賄賂などにも使われもしました。
では、長屋に住む人はというと、当然お茶など飲めません。白湯を出して客をもてなし、お新香、煎餅、団子などが精一杯の生活です。
団子は、1串5文、煎餅は草加煎餅が有りました。1枚1文。
江戸時代は、水を買っていた地域(下町)が多かったです。一ヶ月の水代でも馬鹿にならない時代です。水の質が悪く飲む水は高い。水よりも酒の方が安いのです。下戸には天国でしょう![]()
現代では、煎茶がサービスで出てきます。江戸の人が見たら羨ましいでしょうね!
そして、宇治茶の普及と同時にお茶請として出てきたのが「羊羹」です。
羊羹は奈良時代に中国から伝来しましたが、その当時の羊羹は、羊の肉や肝臓の羹(あつもの)(スープ)
でした。当時は、赤大豆、小麦粉、葛粉、山芋を合わせ羊羹らしく見せました。
本格的な棹羊羹が出たのは、1800年前後の寛政年間の頃です。
有名な「とらや」が京都御所前に店を出したのは室町時代の末ですが、江戸では、「喜太郎」「紅屋」などが
店を出して、棹羊羹を販売しましたそうです。
その当時、羊羹は高級品ですから、他家へ訪問した時、羊羹が御茶請けに出てきたら、かなり良い客と判断されたようです。
しかし、次には、羊羹の切り方が色々あり、薄く切ってあるのか、ドンとおいてあるくらいのモノなのか?
非常に微妙な問題が有りました。
もっと重要な問題が有り、当時はマナーとして、「お茶だけ飲んで羊羹は食べない」のが普通です。
次に客が来ましたら、又出す、そして又戸棚にしまう。この繰り返しになる訳です。
そして、時間の経過とともに羊羹には砂糖が浮き出て白く厚くなり、とても客には出せないという段階になって、やむなく
家の主人の口に落ち着くことになります。
従って、うっかり客が羊羹を食べてしまうものなら、顰蹙を買うこと間違いなしです。
そこで、川柳の登場。
「羊羹を 素直に食って 睨まれる」
まぁ、それくらい贅沢品であったのです。
羊羹と同じころに饅頭が入って来てます。
饅頭の中に、餡が入るのは室町時代ですが、その頃の「餡」は塩味の餡です。
砂糖が安くなり普及していくにつれて我々庶民の口に入ってくるのは、一番最後です。