本地本とは、江戸で出版された本という意味。江戸後期は江戸が唯一の発信地となった。

地本問屋とは、絵草紙など庶民向けの本を出版販売。江戸時代の本屋は出版して販売して一人前として認められた。

店の間口はとても広く本が山積みになっており、客の注文を聞いてから奥から持ってきて、本のあらすじを話し、それから客は借りるかどうかを決めた。(丁寧で良いですね)


1700年半ばごろから、本を担いでの行商の姿が有り、御得意先を回り、客の好みの本のあらすじを話し貸し本を勧める。文政年間(1804~1818)で656軒。天保年間(1830~1844)で800軒の貸本屋があった。


値段は1冊24文、期間は10日~2週間。翌月末払い。本に傷や、汚れ、シミ等が有ると追加り料金が発生。

借賃が高そうに見えるが、本代は、例えば「好色一代男」25匁。「宇治拾遺」90匁。「平家物語」3両2分。


大工の1日の手間賃が5匁4分ですから、本の代金は大工の手間賃の5倍以上であることが分かる。

従って買うのは大変で借りた方が安上がりである。


貸本屋によって得意なジャンルが有り、サスペンス、英雄、読本系とかあり、勿論R指定禁止の本もあり、そういう本は一番下に隠れるように置かれていた。


柳亭種彦(1783~1842)と「偽紫源氏

柳亭種彦は、れっきとした武士でありながら、戯作者として活躍、天保の改革で弾圧され間もなく病死。

「偽紫源氏」13年間で38巻出版、38巻全部各1万部以上売れた。40万部以上。驚異的な数量!!

貸本屋にはそれぞれ顧客が1軒に付き20人くらい居ますから、単純計算で800万人が読んだという計算です。その当時の日本の人口が1300万人としたら、その凄さが判ります


絵の隙間に平仮名で文章が書いてあり、寺子屋に行ったくらいの人なら読むことが出来た。

連載中に種彦が病気になったとの噂が出て、読むことが出来なくなるかもしれないと心配した江戸中の女性は病気の平癒の願掛けをしたくらいです。

本の中でネタにされている大奥の女性もまた同じことをしてました。


貸本屋の隆盛は江戸の読書人口の増加に役立ち、江戸の識字率の高さを示しました。

フランスのパリは、1815年くらいでパリ中で520軒。江戸は500軒。

本の価格は、収入に比べて高く、ナポレオンによる男子の義務教育化発生も関係している。


貸本屋 唐と日本を 背負ってくる」

戦記から洒落本まで担いでくる本屋さんを比喩。



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