もう2月もこれ書いている時は終わりそうです。

皆さんいかがお過ごしでしょうか?

3月になりますね

僕も卒業式がすごく簡易になったり、テストがなくなったりしました。

この高校生活の最後は踏んだり蹴ったりだったなという気持ちです。




そんな話はさておき、

今年で東日本大震災からちょうど10年たちます。
今回はそのお話。
僕の中学の大好きな恩師から教えてもらったお話を書いていこうと思う。



遡ること10年前のあの日

僕は小学校2年生
まだ低学年ということもあって6限はなく、帰りのホームルームの最中でした

せんせーの話を聞いている真っ只中

『『ドン』』

という聞いたことも無いような音とともに揺れ始め、学級図書が落ちてきて怪我をしそうな子がいたり恐怖に晒されてたのを鮮明に覚えています。

僕は揺れるとか本当にダメで、号泣しながらお友達に抱きついていたとその頃の担任から話を聞きました。

人生で1番の大地震
小学校2年生の僕の頭のキャパは大きくなく、すぐパンクしました

そして収まって急いで家に帰り、テレビをつけると、東北の悲惨な現状でした。

目を背けたくてしょうがなかった
でも事実。本当に起きていることなのだと痛感した

その頃の弟は幼稚園生なのでバスに乗っていたらしく、バスのガラスが全部割れた、俺死ぬかと思ったと涙ながらにお話してくれました。

小さいビビりな子なのでよく頑張ったねっておねぇちゃんは思ったよ。

その日から世界が一変したと感じるようになった
毎日ニュースで流れる

『『津波速報』』

『『地震速報』』

『『被災者の悲惨な叫び』』

『『原発のお話』』

僕の小さな頭では到底理解は出来なかったけど、
でも、でも、見てるだけで泣いてしまうような日々。

もちろん停電もしたし、断水もした

一日一日生きてくのに精一杯で、
学校なんて行ける気力もなくただただテレビと向き合う毎日


今でも忘れられない。
目を背けたくて今まで書いてこなかったけど、僕も大人になったし、しっかり向き合おうと思う。


それから数年


僕の大事な恩師に出会う。

その恩師は岩手県出身で被災者だと僕らに教えてくれた。

当時先生は大学生

楽しく友人とお話している時の出来事だったと語っていた。

地面から地響きがなり、

そこから揺れを感じたと。

そこから突き上げるような感覚
起き上がることも困難なくらい

外を見ると電線が切れており、電柱も揺れていたと

『私死ぬのかな 』

って本気で思った。

先生は周りの小さい子を連れ高台まで逃げたそうです。
津波を目の前で見て、思い出の場所が流されるのを理解することが出来ずボーッと見つめていた記憶しかないって涙ながらに教えてくれました。

先生の友達は無事皆さん避難することが出来たそうなのですが、近所の人は流されてしまったという人が多かったそうです。

僕は先生に1度聞いたことがある

『『先生はなんで先生になろうとしたの?』』

と聞くと先生は

『『もちろん、理科のことを教えてあげたいってこともあるけど、東日本大震災を経験して、この経験を伝え続けるのはこの仕事が1番かなって思った』』

と。

先生はとても悲しい過去を背負いながらそれでも目を背けず向き合い前を見て進む強い女性なのだと。


僕もそんな人になれたらいいなと思います



東日本大震災から10年

みんなは何を感じ何を思うのでしょうか

僕はこの経験を今でも忘れない。


震えながらこの文を書いているので変なところがあったら申し訳ないです。