ある壮年男性は、海を見ていた。

堤防の、腰を落ち着けられる場所で。

 

海は優しくさざ波を立てていた。

風は爽やかに体に吹き付ける。

太陽は、春の陽気を伝えるもので、穏やかだった。

 

そんな中、彼は心を萎ませていた。

今日は休日。早くに起きてしまって、家事や洗濯もあらかた済ませてしまった。

暇ができてしまった。

彼は、暇を、恐れていた。

 

途中コンビニで買ったチューハイはすっかりぬるくなり、炭酸も抜けて、

ただのアルコール飲料になってしまった。

 

それをまた少しだけ飲んで、彼は海を眺めていた。

 

スマホをズボンのポケットから出し、SNSを眺めてみた。

飲み会の写真。嫁との写真。趣味の写真。

皆幸せそうである。

 

「誰の胸の中にだって 薄暗い雲はある」

というMr.Childrenの曲のフレーズが浮かんだ。

「そんなのは嘘だ」

彼はその時そう思った。

 

しかし、SNSなんかで全てが分かる訳じゃない。

喜びを共有したいだけだ。

承認欲求に振り回されてはいけないが、誰の心にもそういう気持ちはある。

そして、SNSの写真はそうした純粋な気持ちを切り取った一部分なのである。

 

切り取られていない部分は、誰も知らない。

だから、あのフレーズは正しいのかもしれない。

 

そう思って彼は、また一口チューハイを飲んだ。

先ほどより少し甘酸っぱいような気がした。

 

彼の心を萎ませている理由。そしてチューハイがぬるくなるまで考え込んでいたこと。

それは、友人と交わしたラインについてである。

 

最近「既読無視」が増えた。

 

ラインというのは便利である。

メールのように文面を深く考えずとも気楽にやり取りできる。

 

反面、彼自身もそうなのだが、都合の悪い時にラインが来た場合、

通知があっても読まない、読めないことがある。

これは「未読無視」である。

致し方ない場面もある。仕事中や何かの作業中、他の誰かとのやり取りの最中であったり。

だから、彼は「未読無視」に関しては嫌な感情を抱いていない。

 

問題は「既読無視」である。

 

上手く返す言葉が見つからなかったり、読んだが返せるタイミングを逃し、

時間が経ってしまいすぎて結局そのままにしてしまう。

そういうことがあるのは分かる。

 

けれど、知り合いはまだしも、友人にそうされると辛い。

そうした面でラインは不便だ。

 

そう思い彼はチューハイを飲み干した。

揺れる頭で彼はしょうもないようなことを捏造した。

線と線で繋がってるんじゃない。

点と点で繋がってるんだ。

 

離れた場所にいても、連絡がつかなくとも、いつかどっかで思い出したり、

想っている。ライン、メール、電話もいいけど、いつか会えたらな。

会えなくとも、記憶の中ではいつも君は笑ってるよな、そういえば。

それだけで嬉しいことじゃないか。

出会えて仲良くなれたって思い出は永遠だ。

 

そう思って彼は少しふらつきながら海を後にした。

春の風が、彼の背中を優しく押した、気がした。