保守とか進歩とかの意識は何を基準にして決めるのか。これは所有権意識である。地球上で誰の所有物なのか分からない土地はない。すべて完全に所有という概念に支配されている。私的所有、公的所有のいずれかに大別される。自由とか平等とか民主主義と言ったところで基本は所有権というものを、どのように把握するか、この視点で全てが線引きされる。

 地球上には土地の欠片も持たない人も沢山いる。持つだけが問題ではない。持たないのも問題である。人間生きるには衣食住が足りなければならないが、なかでも土地だけは人が生きるための最低条件として占有する権利をアプリオリ―に与えられなければならない。これが自由平等の最低条件である。現在の人類の地球人口は約80億人と言われている。であるならば、地球の面積の80憶分の一が個人の持ち分として、土地の所有権を与えられなければならない。こうした前提に立っても、土地は一様に存在しているわけではない。砂漠もあれば、沼地や荒れ地、山や海岸線もある。自然自体が平等に存在しているわけではない。

 自然の条件は不平等でしかない。つまり、存在の有り方が不平等であるから、人類みんなが一人一人平等になるようにしましょうというのが平等の理念になってくる。これは個人の能力はバラバラでも社会的に平等にしましょうという人権理念と同じことだ。土地といっても金やレアメタルが埋まっている山や海もあれば、農産物が豊かに育つ肥沃な土地もある。河川に恵まれた農耕地もある。土地は土地でも、より豊かな価値を生み出す土地は限られている。

この有利な土地を求めて実力者は土地を一方的に占有してきた。ここに富の不平等化の根源がある。

 不平等に存在する自然条件を有力な個人が占有することによって富を形成してきた。また、より有力なものが武力でもって資源の再分配を起こして戦争が行われ、軍事力を掌握した専制主義者が弱者を抑圧してきたのが人類の歴史である。こうした所有権に基づいた帰結が領土思想であり、国境警備ということになる。だが、人類は武力に寄らなくても人の移動や商品の取引を自由にできる知恵の発展も成し遂げてきた。今の時代は自由で平等な理念の普遍化を如何にして成し遂げるかである。武力ではなく、自由で平等な理念に共鳴した国家指導者の進展である。この観点に立たない限り、地球に平和はやって来ない。神の力ではなく、政治を行う指導層の理念の確立である。これが無い限り、地球に平和はやって来ない。教育されなければならないのは、政治を預かる指導層の理念の再検討ではないだろうか。