人質を盾にした戦術が混迷を深めている。軍事家ではないので専門的な戦術、戦略は理解できないが、例えば犯罪の事例としてビルに押し入って人質を確保し、立て籠もる行動が過去の出来事として考えることができる。しかし、こうした事犯の殆どが自滅している。航空機をハイジャックして逃げ切った例外もあることはあるが、こうした事例はまれであろう。

 大規模な戦争において捕虜交換は取引として公認されているだろうが、捕虜と人質では交渉の次元が違うように思う。捕虜は明らかに戦闘員であるが、人質の場合は民間人であり、係争とは無関係の人間といっていいだろう。この民間人をゲリラ戦術の盾として巻き込むわけだから、無理と言わざるを得ないのではないだろうか。

 こうしことの評価は別にして、政治思想的なことに関心のないグループ、感性で判断する人達にとっては現状から受ける得失利害から判断して、どうすれば現状から抜け出せるかと選択的な思考をしていくことになる。物価高、雇用と賃金、社会的事犯や生活感からくる傾向として戦争や係争状態がなくなればいいという目先の出来事を取り払うことによって現状を変えたいという欲求になっていくのも仕方のないことだろうが、ここでの国民の判断が歴史の曲がり角になるということを意識しないのであろう。結果として停滞へ向かうのか反動へ向かうのかは判断のつかないままに結果がどうなるのか、なってみないと分からないのが実情だろう。つまり、過剰に反応して停滞してしまうことになりかねない傾向を示している。

 物事には漁夫の利というものがつきまとう。ロシアのプーチン大統領は、この漁夫の利を狙っている可能性がある。トランプが米国とNATOとの関係を清算してくれるのであれば、裏で応援したいという気持をもっても不思議ではない。ましてや、ウクライナへの軍事予算の停止などの共和党の対処は願ってもない出来事だろう。米国の政治的揺らぎによって誰が漁夫の利を得るのかを冷静に判断しなければならないだろう。米国の大統領選挙の結果が第二次世界大戦後の世界政治の行方に壁となる可能性が出てきた。米国民の判断にすべて委ねられたと言っていいだろう。