世界を見るということは、世界政治の流れを分析する政治家の価値観が問われているということである。この政治家は歴史解釈を歪曲しているな、と感じることがある。例えば、ドイツがウクライナにレオパルト型戦車を支援したことでプーチン大統領は即座にロシアはナチズムの脅威にさらされていると言ったことである。物事を理解する上で、このプーチン大統領という政治家は自分にとって都合の良いように歴史を歪曲して解釈していると誰もが思う。ロシアの多くの良識ある人々は、思い過ごしをされているようだと感じているだろう。物事の理解において極端に誇張して解釈することは事態の悪化をまねくことになる。

 中国発のアドバルーンがアメリカや南米を、ふわりふわりと彷徨い飛行していることでも、中国政府の対応は硬直している。中国はアメリカに悪い意図をもって解釈するなと逆に警鐘を鳴らしているのだが、ただ単に民間のアドバルーンが制御不能になっただけであれば、素直にご迷惑をかけましたと民間の企業名を明かして謝ればすむことである。それを余計な勘繰りをするな、とまで言う必要があるのだろうかと思う。

 物事は解釈の仕方で、どのようにも転がって行くわけである。緊張を煽ろうとすれば、悪い意図でもって悪く解釈すればいいわけである。ここに外交テクニックがあるというならば、言葉の意味合いで職業を維持している外交官僚であるならば、それでもいいだろう。しかし、これからの世界政治は国民の生命の安全と平和な生活を維持するためには何が必要なのかを念頭において考えて行くべきではないのだろうか。この観点から言えば、素直さである。ミスならミスであったと正直に述べることが、事態を危機化させない根本姿勢だと思う。

 権力者になると物事を実力で解決しようと考えるが、軍隊や武力を安易に駆使できるという認識は間違いである。台湾問題や日本との国境線の問題でも、武力を前提に掲げているから常に問題が沸騰していくわけである。おそらく中国国内においても武力派と平和推進を標榜する経済派に大きく二大陣営に分かれているのだろう。習近平政権は経済派の汚職問題を摘発して勢力を拡大してきた経緯がある。だからではないが、軍事派にスタンスを置いて政権基盤を拡大してきたから、どうしても強硬派の解釈になっている。そろそろ習政権の基盤も確立してきたから、ここで方向転換する時期ではないだろうか。ロシア、アメリカと中国の三大勢力の定立を哲学するべきだろう。鼎立ではなく、スタンスを保った定立である。名を残す政治家であろうとするならば、世界政治を哲学して欲しい。