国境線というのは固定したものではない。百年前、二百年前、千年前はどうっだのかという考え方は一面では正しいように思えても,固執することは危険を伴う。軍事力がない時代には重要視されないが、経済力がついてきて、軍事力が強化されてくると、もともと、あの土地は領土であったのだから武力を行使して奪還したいという欲求が政治家に出てくる。

 領土奪還の思想は国民教育にも取り入れられて、国民意識の洗浄化が行われ、武装力の強化だけでなく国民意識の領土奪還に向けた高揚が図られていく。当然、反対する人も出てくるから治安維持を目的にした秩序維持法案が可決されていく。戦争体制の構築というものは全社会的に進捗していくものなのだ。近代になってからも、こうした規定の路線を踏襲して世界的に戦争が行われてきた。

 歴史に学ぶということは戦争に対して理知的な抑制がどれだけ働くか、ということである。第一次大戦、第二次大戦は地球上を戦場にしたわけであり、多大な犠牲を乗り越えて人類は叡智を養ったはずである。戦争は人の殺戮であり、築かれてきた国民財産の破壊であって、生産的なものは何もないはずである。現実にウクライナの領土は毎日の砲撃や爆撃によって破壊の限りを嘗め尽くしている。建設は皆無である。破壊の廃墟を作り出している。こうした現状を無視して、ロシアという国に帰属したいロシア人の安全を守るための戦争であり、ロシアに編入した土地を確保するための軍事行動をしているとプーチン大統領は言っている。

 こうした論法でロシア国民を戦場に駆り立てているわけであるが、果たして、このような強引な戦争が21世紀に目の前で展開されていること事態、歴史の逆ネジ現象ではないだろうか。この危機を止めるのはウクライナ軍の勝利しかないとゼレンスキー大統領はいっているが、確かにそうであっても、戦争で全面勝利するには相当な時間がかかり、ウクライナの廃墟化が進むしかないだろう。やっぱり、この戦争を止めるのはロシア国民ではないのだろうか。ロシア国民の正義で戦争を止めるしかないのではないだろうか。