凶悪犯罪の裏に流出した個人情報がある。この確かな事実があるに拘わらず政府はマイナンバーの推進を強引に進めている。個人生活の電子化を、国民のすべての事柄を、つまり財産から病気に至るまで国家が電子管理するということだが、ちょっと待て!。一休みして電子化のリスクも同時に考えて欲しい。ネット社会は頭の中で考えれば、合理的かもしれない。だがしかし、ハッカーを完全に阻止できるという保証はない。一度抜かれた個人情報は事件として報道されても、その後どのようにフォローされて、個人情報が守られたのか、この調査結果は不明のままだ。盗まれた情報が犯罪組織に流されていく経路も解明されていない。つまり電子化に伴うリスクは永遠に解消されないということだろう。

 品物を買うにあたって電子カードは便利である。1円、5円、十円の硬貨を出さなくても決済できる。大きな取引でも、口座から口座へワンタッチで送金できる。合理的であることは便利であり、省エネでもある。悪人も、この便利さにつけ込んで悪知恵を働かせて、悪さをするにしても合理的に利用しているということだろう。すべてを電子化することによって合理性は満たされるかもしれないが、これだけでは必要条件であるとしても、個人の権利や安全面から考えると必ずしも十分条件を備えているとは言い難い。これは真理の一里塚として非合理的なものも必要だということである。

 完全な合理性は、非合理的なものを包含してこそ完成されるものだろう。見える世界だけでなく、見えない世界もあるわけだから、未解明な世界があるということを考慮して、手作業の領域も残しておく必要があるように思う。宇宙にダークマターが存在するように電子化と並行してマニュアルなものを併存させた合理性が求められているのではないだろうか。物事は行き過ぎても歪みが生じてくる。一気に進むのではなく、なにかの安全装置を考えておく必要はないだろうかと思えてならない。