丁は偶数、半は奇数。このどちらが出るかで賭ける博打を丁半博打という。デジタルと同じ思考方法だ。(+)プラスか(-)マイナスかのどちら?というわけである。世の中、すべて丁半博打で成り立っている。これは言い過ぎではない。民主主義も所詮は丁半で決まる。こんなことを先生が教室で喋ると、あの先生は生徒に博打の授業をしていると親御さんやらマスコミやら教育委員会まで巻き込むことになるかもしれない。だがしかし、社会は丁半で動いている。

 英語で言えば、イエスかノーかである。君はこの議案に、私の提案に賛成するのか、反対するのか、どっちなんだ?もちろん、イエスです。賛成です。プラスですよ。たとえ腹の中でベロを出していても、この場は賛成に回る方が将来的に優位になるという計算が働いた。方針に反対する官僚さんは席を代わってもらいます。第一線にいると常に選択を迫られる。どっちに行くのか進路を瞬時に決めなければならない。

 買うか、買わないか。これも難しい。この円高の時に何を買うのか。株を買うのか、金を買うのか、土地を買うのか。この経済運勢の行くヘは明白である。米国経済が上向いていくのかどうかにかかっている。ドルを売っている人は米国経済の将来に危機感を抱いている人々であることに間違いはない。彼等は本当に心配しているのか?恐らく、不安であることに相違はない。米国の利権を中国が侵害してきている。ここまま放置すれば、取り返しのつかないことになる。叩くのは今だ!この判断が優先したのだろう。この米国の判断にまともに対抗しようとしているのが習近平グループということになる。

 叩くか叩かないかは、一種の丁半である。叩かれて反発する中国側も丁半の受け身体制になっている。妥協するか、妥協しないかも丁半である。中国は国家資本主義体制である。国家資本と民間資本との合体資本主義である。これを操っているのが党の組織である。この中国が資本主義国の一員として世界で生き抜くためには妥協しかない。もし、この妥協を拒否して突破していこうとすれば、孤立しかない。思想に生きるか、資本の論理に生きるかの選択になっている。これをどうすのか、21世紀の課題だ!

 こんな長文を書いて何を言いたかったのか。これを書くのを忘れていました。秋の連休で全国的に人の移動が攪拌されて、新型コロナの感染状況がどう出るのか。これが丁半だということです。