時代劇をテレビで見る。何か、遠い過去の歴史を紐解くという感慨になるが、こうした見方は間違っている。今現在、政権交代に直面していることは確かな事実であるが、何時の時代にあっても政権があったわけで何時の歴史的瞬間においても政権交代の情勢はあった。だから、明治維新による政権交代や先の第二次世界大戦後の政権交代と今、目の前で行われている政権交代も同じことなのである。薩長による武力倒幕、米軍の占領による敗戦、これらは同じことであるが、同じであると学者や知識人が言わないだけである。政権交代には必ず力の圧力が働いている。どのような力があって、働きかける方法がどのように違うのか、単刀直入に言えば、社会制度の手続きが違うだけである。

  暗殺や武力占拠というような軍事圧力ではない。これだけは確かである。これは原始的な暴力による政権交代という方法では国民の同意を得ることができないからである。あからさまの暴力では国民の同意を得られない、ここに進歩がある。民主主義という名の一定の前進である。道半ばの進展と言えるが、民主主義は制度的にも、まだまだ未熟でしかない。言葉としての民主主義というものがあって、選挙制度という法に基づいた国民投票が行われても、こうした行為が本当に民主主義を満たしているものなのか、はなはだ疑問である。反対者も包摂するような態勢ができれば、一番いいのだが、この包摂という言葉は難しい。

 世界中で投票による選挙が行われているが、この方法が最善なのだろうか。直接選挙とか比例代表制とか、選挙区の地割なんかも問題を抱えたまま進行している。新型コロナ対策で行政の持つ力の格差が表面化したことも事実である。東京都の財政力はずば抜けている。この割には対策は進んでいるとはいえない。もし地方都市で東京都と同じくらいの感染者が出たら、地方都市はどのように対処すればいいのだろうか。ゴーツートラベルを東京に持って行くという。感染者のない県から飛行機や新幹線で東京に行くのはいいが、感染者の数が増えたり減ったりして、検査調整をしている都市に出かけて行って、新型コロナコロナ菌をお土産にもらって帰ったならば、この結果、どうなっていくのだろうか???