すべての情報は、私たちの成長のヒントです。
本日は、『致知』の人気連載コーナー「致知随想」の中から、特に反響の多かった記事をセレクトしてご紹介します。
今回は2年前、アメリカのオバマ大統領の就任式で、オバマ夫人が着用していて有名になったニットを製造した山形県寒河江市の佐藤繊維社長・佐藤正樹氏の随想記事をご紹介します。
■「致知随想」ベストセレクション <その52>
「夢の力」
佐藤正樹(佐藤繊維社長)
『致知』2011年3月号「致知随想」
仕事の中に自分の夢があれば、それは何ものにも負けない強い力になる。
10年前、イタリアの紡績工場で働く職人が情熱をもって仕事に打ち込む姿に、このことを教えられました。
山形県寒河江市にある佐藤繊維は昭和7年に創業し、主に糸やニットの製造を手掛けてきました。
当時の私はといえば、家業を継ぐことよりも、むしろ東京に出てデザイナーになることを夢見ていたように思います。
イタリアを訪れたのは、現地で行われている糸の展示会を見学するのが目的でした。
工場を見せてもらったのは、その折です。
敷地内に並ぶ機械を見た瞬間、大きな衝撃が体を走り抜けました。
それまで私は、品質の高いクリエイティブな糸をつくるには最新鋭の高価な機械がなければできないと考えていました。
自分たちの工場にはそれがないから、既製品をつくる以外にないと決めつけていたのです。
ところが目の前にある機械は、私たちが使っているものとなんら変わりがありません。
いたるところに独自の改良が加えられている点を除いては。
また、職人からは自分たちが世界で最高の糸をつくっているのだ、という気概が伝わってきました。
ものづくりにとって一番大切なものとは何か、自分に欠けていたものは何なのか。
帰りの飛行機の中で、私は自問自答を繰り返していました。
帰国後、意を決した私は新しい糸づくりに挑戦しようと周囲に持ち掛けました。
すると返ってきた言葉は、「できません、無理です」
の一点張り。
いまのままでいいじゃないか、という本音が見え隠れしていました。
そんな中、私の意見に賛同する数少ない社員とともに、まったく新しいクリエイティブな糸づくりを決行したのです。
3か月の開発期間を経て、半年後に市場に売り出したのですが、結果は散々でした。
技術的に未熟で品質に問題があったため、返品の山だけが残ったのです。
そんなものをつくる必要はないという社内からの容赦ない批判を尻目に、私は失敗した原因を一工程ずつ辿って調べ、改善を試みました。
蓋を開ければ、一番もとになる糸の原料にまで遡らなければならず、我慢の月日は4年にもおよびました。
ようやく完成した新しい糸は思いがけない副産物をも生み出してくれました。
工程を丹念に辿って検証する中で、新しい糸をつくり出す独自の製法を確立することができたのです。
こうした糸を基盤に売り出し始めたニット製品でしたが、アパレルなどでは、地方の工場がデザインした製品には目もくれず新規事業としては苦しい展開でした。
一方で、中国から安いニット製品が大量に日本に流れ込み、工場の柱であった従来のニット製品の注文が途絶え、経営は一気に苦しくなりました。
当時40歳を前にした私が社長の座を引き継いだのは、ちょうどこの時期にあたります。
私は自分で自分の工場に注文を出すことで社員の仕事を創り出し、できあがったニット製品は週末に妻とトラックで近隣都市に売りに出ました。
こうした販売接客に始まり、製品開発、県外への営業にいたるまで、すべてが私に圧し掛かかります。
歯を食いしばるような日が続きましたが、この苦しい時期を体験できたことが、いまの成長に繋がったのだと感じています。
その後、従来の流通に限界を感じていた私は、ものづくりに懸ける思いを消費者に直接伝えられるネットやテレビ通販に徐々に販路を転換し、また一方では国内外の展示会にも積極的に挑戦していました。
イタリアで毎年開催されているピッティフィラーティ展という、糸を扱う最高峰の展示会があります。
ヨーロッパの情報発信の中心であり、ことウールの糸に関して日本企業はもちろん、アメリカや中国からの出展もないような展示会です。
無理だという意見が大半でしたが、きれいにラッピングした見本の糸に申請書を添え、私は拝むような気持ちで送り出しました。
出展許可のメールが届いたのは、開催まであと一か月半と迫ったある日のことでした。
信じられない思いで文面を見つめる私の胸に、熱いものが込み上げてきました。
言葉になりませんでした。
妻の涙がすべてを物語っていました。
現地に到着し、案内された展示場所は驚いたことに地下の一番隅っこでした。
何度か展示会に来ていた私ですら訪れたことのないような場所です。
ショックもありましたが、場所を移動することはできません。
私はすぐに頭を切り替えました。
この場所でどうすれば自分たちの糸を一人でも多くの人に見てもらうことができるだろうかと。
答えは必ず自分の中にある、そう信じて必死に考え、そして行動に移しました。
開催当初こそ見学者はまばらでしたが、照明を落とした地下の一角に現れた、スポットライトで浮かび上がる糸の競演に注目が集まり、いつしか人だかりができるほどになっていました。
グッチやルイ・ヴィトンをはじめとした一流メーカーとの取り引きは、この展示会での成功が引き寄せてくれたのです。
またアパレル製品においては、アメリカの展示会で、10年がかりで確固たる地位を得るまでにいたりました。
山形の小さな工場が、この10年で私の想像を遙かに超える変貌を遂げました。
それは同時に数々の失敗を糧に成長してきた私自身の歩みとも重なり合います。
こんこんと湧き上がるエネルギーを武器に、世界の誰にも負けないものを生み出していきたい。
私の夢はいまも膨らみ続けています。
※以上、致知出版社の「人間力メルマガ」【2011/4/3】致知出版社編集部 発行より抜粋させていただきました。
場所や道具が問題ではなく、現状に満足することなきチャレンジ精神こそがよき物を生み出す原動力であるということを教えていただきました。
佐藤正樹さん素晴らしいお話を紹介してくださりありがとうございます。
★今回の成長のヒント
飽くなきチャレンジだけが世界を変革できる。
石井ゆきお
本日は、『致知』の人気連載コーナー「致知随想」の中から、特に反響の多かった記事をセレクトしてご紹介します。
今回は2年前、アメリカのオバマ大統領の就任式で、オバマ夫人が着用していて有名になったニットを製造した山形県寒河江市の佐藤繊維社長・佐藤正樹氏の随想記事をご紹介します。
■「致知随想」ベストセレクション <その52>
「夢の力」
佐藤正樹(佐藤繊維社長)
『致知』2011年3月号「致知随想」
仕事の中に自分の夢があれば、それは何ものにも負けない強い力になる。
10年前、イタリアの紡績工場で働く職人が情熱をもって仕事に打ち込む姿に、このことを教えられました。
山形県寒河江市にある佐藤繊維は昭和7年に創業し、主に糸やニットの製造を手掛けてきました。
当時の私はといえば、家業を継ぐことよりも、むしろ東京に出てデザイナーになることを夢見ていたように思います。
イタリアを訪れたのは、現地で行われている糸の展示会を見学するのが目的でした。
工場を見せてもらったのは、その折です。
敷地内に並ぶ機械を見た瞬間、大きな衝撃が体を走り抜けました。
それまで私は、品質の高いクリエイティブな糸をつくるには最新鋭の高価な機械がなければできないと考えていました。
自分たちの工場にはそれがないから、既製品をつくる以外にないと決めつけていたのです。
ところが目の前にある機械は、私たちが使っているものとなんら変わりがありません。
いたるところに独自の改良が加えられている点を除いては。
また、職人からは自分たちが世界で最高の糸をつくっているのだ、という気概が伝わってきました。
ものづくりにとって一番大切なものとは何か、自分に欠けていたものは何なのか。
帰りの飛行機の中で、私は自問自答を繰り返していました。
帰国後、意を決した私は新しい糸づくりに挑戦しようと周囲に持ち掛けました。
すると返ってきた言葉は、「できません、無理です」
の一点張り。
いまのままでいいじゃないか、という本音が見え隠れしていました。
そんな中、私の意見に賛同する数少ない社員とともに、まったく新しいクリエイティブな糸づくりを決行したのです。
3か月の開発期間を経て、半年後に市場に売り出したのですが、結果は散々でした。
技術的に未熟で品質に問題があったため、返品の山だけが残ったのです。
そんなものをつくる必要はないという社内からの容赦ない批判を尻目に、私は失敗した原因を一工程ずつ辿って調べ、改善を試みました。
蓋を開ければ、一番もとになる糸の原料にまで遡らなければならず、我慢の月日は4年にもおよびました。
ようやく完成した新しい糸は思いがけない副産物をも生み出してくれました。
工程を丹念に辿って検証する中で、新しい糸をつくり出す独自の製法を確立することができたのです。
こうした糸を基盤に売り出し始めたニット製品でしたが、アパレルなどでは、地方の工場がデザインした製品には目もくれず新規事業としては苦しい展開でした。
一方で、中国から安いニット製品が大量に日本に流れ込み、工場の柱であった従来のニット製品の注文が途絶え、経営は一気に苦しくなりました。
当時40歳を前にした私が社長の座を引き継いだのは、ちょうどこの時期にあたります。
私は自分で自分の工場に注文を出すことで社員の仕事を創り出し、できあがったニット製品は週末に妻とトラックで近隣都市に売りに出ました。
こうした販売接客に始まり、製品開発、県外への営業にいたるまで、すべてが私に圧し掛かかります。
歯を食いしばるような日が続きましたが、この苦しい時期を体験できたことが、いまの成長に繋がったのだと感じています。
その後、従来の流通に限界を感じていた私は、ものづくりに懸ける思いを消費者に直接伝えられるネットやテレビ通販に徐々に販路を転換し、また一方では国内外の展示会にも積極的に挑戦していました。
イタリアで毎年開催されているピッティフィラーティ展という、糸を扱う最高峰の展示会があります。
ヨーロッパの情報発信の中心であり、ことウールの糸に関して日本企業はもちろん、アメリカや中国からの出展もないような展示会です。
無理だという意見が大半でしたが、きれいにラッピングした見本の糸に申請書を添え、私は拝むような気持ちで送り出しました。
出展許可のメールが届いたのは、開催まであと一か月半と迫ったある日のことでした。
信じられない思いで文面を見つめる私の胸に、熱いものが込み上げてきました。
言葉になりませんでした。
妻の涙がすべてを物語っていました。
現地に到着し、案内された展示場所は驚いたことに地下の一番隅っこでした。
何度か展示会に来ていた私ですら訪れたことのないような場所です。
ショックもありましたが、場所を移動することはできません。
私はすぐに頭を切り替えました。
この場所でどうすれば自分たちの糸を一人でも多くの人に見てもらうことができるだろうかと。
答えは必ず自分の中にある、そう信じて必死に考え、そして行動に移しました。
開催当初こそ見学者はまばらでしたが、照明を落とした地下の一角に現れた、スポットライトで浮かび上がる糸の競演に注目が集まり、いつしか人だかりができるほどになっていました。
グッチやルイ・ヴィトンをはじめとした一流メーカーとの取り引きは、この展示会での成功が引き寄せてくれたのです。
またアパレル製品においては、アメリカの展示会で、10年がかりで確固たる地位を得るまでにいたりました。
山形の小さな工場が、この10年で私の想像を遙かに超える変貌を遂げました。
それは同時に数々の失敗を糧に成長してきた私自身の歩みとも重なり合います。
こんこんと湧き上がるエネルギーを武器に、世界の誰にも負けないものを生み出していきたい。
私の夢はいまも膨らみ続けています。
※以上、致知出版社の「人間力メルマガ」【2011/4/3】致知出版社編集部 発行より抜粋させていただきました。
場所や道具が問題ではなく、現状に満足することなきチャレンジ精神こそがよき物を生み出す原動力であるということを教えていただきました。
佐藤正樹さん素晴らしいお話を紹介してくださりありがとうございます。
★今回の成長のヒント
飽くなきチャレンジだけが世界を変革できる。
石井ゆきお