あと少し、だと思う。
あと少し。あと、もう少し。

そう自分に言い聞かせながら、俺は足に込めた力を緩めない。

ゆっくりだけど前に進む。
登り坂しかない道を、自転車を降りる事なく山頂近くまで来た。

本当に見つかるのだろうか。
いや、その前に、俺の本当に大切なものって何なんだろう?


―――3日前。

「こないだ先輩から聞いたんだけど、本物峠の伝説って、知ってる?」

"あの日"から、目立たないように高校生活を送っていた俺に、クラスの女子の話している会話が聞こえてきた。

「知らなーい。何それ?」
「なんかね、隣町に本物峠って言う山道があるんだけど、そこを自転車から1回も降りずに登りきると、その人の本当に大切なものが見つかる、って言う伝説があるんだって」


"あの日"から空っぽになった俺の生活から抜け出せるかもしれないと思った。
気がついたら、自転車を連れて本物峠に来ていた。

そんな事を考えながらも足を休める事なく、必死に漕ぎつづけた。

ふいに足が軽くなった。
と同時に風が俺の髪や服を揺らす。
一瞬、時が止まったかのようだった。
気づけば、俺の足は地に着いていた。
だけど、もう目の前に道はない。

伝説の通りに、俺は頂上に辿り着いた。
俺の本当に大切なものってなんだろう?
思いながら辺りを見渡すと、小さな梅の木の側に、女性の後ろ姿を見つけた。

彼女の長い髪と白いワンピースを風が揺らす。
はっとして声も出ない。体も動かない。
激しい呼吸と、心臓の音だけが生きていた。

後ろ姿でもわかる。
"あの日"からもう2度と会える事はないと思っていた。
これが俺の大切なものだったのか…。

生唾を飲み込み、額から流れる汗を袖で拭い、息を吐き出す。
そして俺は、足を踏み出した。

風にそよぐ、梅の枝と彼女の白いワンピースに向かって。



fin