鎌倉幕府の成立から北条氏支配の時代へ、ブラタモリは2週に亘って鎌倉を特集していました。鎌倉在住だった我が句会の宗匠に、生前市内を案内して頂きながら古都の吟行を楽しんだ時のことを懐かしく思い出しつつ、興味深く視聴しました。

 

鶴岡八幡の東の鎌倉幕府の政庁が設営された跡を辿る中、西御門等の由緒正しい地名が次々に出て来ました。西御門と聞いて思い出したのが江藤淳<西御門雑記>「地名という詩」という文章です。江藤淳が34年振りに鎌倉に戻って綴られました。

 

「雪の下、大町、小町、浄明寺、二階堂、西御門、扇ヶ谷、材木座、長谷、坂ノ下、極楽寺等々、戦時中の小学生だったころ馴れ親しんだ町の名が、ここではほとんど地番改正の影響を蒙っていない」

 

「(地名は)その土地がその名で呼ばれるようになってから、今日まで世に在った幾代もの人々の、想いと記憶が籠められた深く重い言葉である」

 

「古代の人々は、その土地をその名で呼ぶことに、呪術的な地霊との交感のしるしを見、・・・地名は、このときそのまま詩でもあったといえる」

 

としています。

 

ブラタモリの第2週では、往時の極楽寺の寺域の広大さや、宇治の平等院を模して建てられた寺院の跡に二階堂という地名が残ったことを教えてもらって、目が開かれる思いになりました。又、金沢文庫が北条氏の残した貴重な文化遺産だとも知りました。