こんにちは



はまひとみです。








小学3年生のとき

プールの授業が終わって教室に帰る途中に、

同級生の頭に砂をかけたことがあります。








その子は先天性の障がいのある子で

プールの授業はいつも見学で、

「あー暇だ、暑いー、退屈」

って文句を言っていて、

あの日、わたしの何かがプツンと切れました。







今まで自分の中で感じたことのない

怒りみたいなのがメラメラメラメラして、

プールの授業が終わって

教室に戻ってる

その子の後を追いかけて、

校庭の砂を握りしめて、

追い越しざまに頭に砂をかけました。







その瞬間はやってやった!

って感じだったんだけど、

すぐ、

「何てことしてしまったんだ!!」って

具合が悪くなるような後悔が押し寄せて、

わたしの人生終わったって

恐怖に押しつぶされそうになってました。







帰りの会は、もう刑務所送りだ、くらいの

恐怖と罪悪感でいっぱいで、

担任の先生が

「〇〇さんの頭に砂をかけた人は誰ですか」

っていうお説教と尋問があったけど、

こわくて名乗り出ることができなかった。

それと同時に、

あの子、わたしがやったこと

わかってるはずなのに先生に言ってない??

ってそれがびっくりで。







あの子はただいつも通り過ごしてただけなのに、

何にも悪くないのに、

あんなひどいことをしたわたしのことを

かばってくれてるような気がして、

あの子の優しさというのか、心の大きさに

完敗というか降参したような気分でした。








やってやるってスイッチが入った人間は、

盲目です。

善悪とか、相手の気持ちとか

そんなことは何も思い浮かばない。







あいつーー!

どうやって懲らしめてやろうか!

あおり運転をやる人みたいに、

あいつは間違ってる、おかしい!

悪者は懲らしめてやらなければ!

ぐらいの正義感で、

理性は全く働かなくて、

手を下した後に目が覚める。








わたしはプール苦手だけど、

一生懸命やってるのに、

あの子はだるそうに見学して、文句言ってて。

給食のときは、

あの子は苦手な献立を見るだけで

気持ち悪くなるということで、

机の配置は特別編成で、みんなで机を移動して。

あの子の登下校は毎日お母さんの送迎で、

朝はわたしたちが駐車場にお迎えに行って、

ランドセルや荷物を教室に持っていって

帰りははあの子のランドセルや荷物を持って、

駐車場のお母さんの車まで運ぶ。







毎日お母さんが送り迎えしてくれて。

ときどきお母さんのお迎えが遅いときは、

「もー遅ーい!!早く来てよー!」って、

あの子はお母さんに文句を言ってて、

でもあの子のお母さんは

「遅くなってごめんね〜

 みんないつもありがとうね〜」

ってニコニコしながら謝って、

わたしたちにお礼を言ってくれる。







あの子のお母さんは、

朝と帰り毎日送迎して、

ひどい文句を言われても

いつも優しい雰囲気でニコニコ笑顔で、

こんなお母さんがこの世にいるの?

っていう信じられなさと、羨ましさと、

二コニコの笑顔からふと垣間見える憂いとで、

もう気持ちがわーって溢れてしまいそうに

なるので、

お母さんの顔は面と向かって見れなかったけど、

遠巻きから見るだけでも

心が安らぐようなお母さんでした。







あの当時はただ、ただ、

ひどいことしてしまって

ごめんなさいっていうのと

自分を責めるっていうのを

自分の中でやることしかできなかった。







ずーーっとあの罪悪感を抱えて、

成人してから、

あの子がたまに連絡をくれたけど、

その度にプールの帰りのことを思い出して

罪悪感とこわさでたまらなかった。

自分でも何であんなことをしてしまったのか

どれだけ考えてもわからなくて、

ただ自分を責めることしかできなかった。









今までみることができなかったことを

この数年は時間をかけて一つ一つ

みていきました。

何であんなことしたのか。







プールのときの文句や、

あの子の態度が原因ではない。







わたしが自分を偽って

良い子でいようとがんばってたこと、

わたしが欲しい形で

お母さんから愛をもらえなかったということ。

自分を抑えて我慢して、無理して、

たくさん欠乏感を感じていて、

そのやり場のない

怒りのような悲しみのようなエネルギー

がわたしの中に充満していた。







あの子は人から良く思われようとかなくて、

自分が苦手なことは無理しないで

苦手なことは学校に伝えていて、

お母さんからの温かい愛をたくさん

受け取っていて、

自分に正直に生きてるような子でした。







わたしにはわからない、

みんなと同じような生活ができない辛さや

見えない差別みたいなことも

あったかもしれないけど、

それを受け入れてる強さのある子。








わたしはそこに甘えたんだと思う。

あの当時のわたしには持ちきれなかった

怒りや悲しみのエネルギーを

あなたの心の器ちょっと貸して、

みたいな感じで、

肩代わりしてもらったような気がする。







わたしが自分を抑えることなく、

自分じゃない誰かのように偽ることもなく

そのままの自分らしさで生きて、

自分の快や不快を受け入れて、

自分を大切にして、

満たされていたとしたら、、







あの日のプールの光景は

何も気に留めることなく、

通り過ぎて記憶にもなかったことだと思う。