事必帰正

 
 文亨進以外は異端者であり爆破者だとは?


 
 私の記憶の中の真のお母様は、本当に清純で崇高な方でした。最初の印象はとてもお美しくて、一点の汚れもなく清い一方で、お年に比べて気品と荘重さを備えた方でした。歴史上初めての小羊の婚宴、真の父母様の聖婚式に、忽然と現れたお母様にお会いした時の感じがそうでした。初めての感激に胸が高鳴り、感動と感謝と言葉にできない恩恵に酔いしれ、襟を正して参加した真の父母様の聖婚式も、もはや過ぎ去った遠い過去のことです。あの時の感動はまだ、私の心に深く残っています。父母様に侍る生活の中で、何の言葉も言わずに私たちの前で微笑みながら座っておられるお母様の姿を見るだけでも、大きな恩恵となり、感謝した歳月でした。

 ところが、亨進様を相続者に立てようと、やきもきしている映像の中のお母様のお姿に、私は言葉を失いました。それは一生涯、尊敬し侍ってきた本然のお母様の姿ではありませんでした。どんなことがあっても、お父様を守ってくださらなければならないお母様が、なぜそこまでしなければならなかったのか、全ての子女を一つにして、お父様の前に連れて来なければならないというお父様の再三の教えから見ても、真のお母様の本然のあるべき姿から見ても、どうしてご子息に異端者や爆破者という烙印を押すようなことをなさることができるのか、私は今なお理解ができません。

 この宣布文はその日の朝、水沢里に待機していた全国の公職者たちに公開されました。宣布文を紹介した金鐘琯(キム・ジョングァン)協会総務局長は、亨進様が統一教(Unificationism)の名前を持ってすることに対して、「父母様は『統一教』と確かに語ってくださった」と発表しました。それまでお父様をあざむき、摂理の進行を逆行させた大胆不敵な者たちの断面を垣間見ることができます。

 お母様と亨進様が二番目の宣布文に、なぜそこまで執拗に「統一教」という文句を入れようとしたのか、その答えが金鐘琯氏の口から出たのです。お母様は最初の宣布文が作成された後も満足せず、およそ10回以上、「統一教」を繰り返しながら、お父様に「統一教が入った追加文を書いてくれ」と頼みました。亨進様が家庭連合を統一教に変えたことについて、これを「真の父母が認めたこと」にするために、お父様にしつこく要求したのです。はなはだしくは、顯進様が現在の法人名を無視しているとして、息子まで引き合いに出して話しながら、統一教の名前を書いてくれと言いました。動画の中で、お父様はこれ以上お書きになりたくなかったのか、1度はお母様に、「あなたが書け」と言われているのです。

 食口たちの前では、「統一教会、家庭連合時代を経て、統一教が完成段階の宗教」と説明しているのに、どうしてお父様の前では、そのように堂々と説明して裁可を受けなかったのでしょうか。どうして統一教世界本部の公文だけ認めるという文だけを書いてもらうようにしたのでしょうか。

 こうした公文を見せて、「お父様がついに統一教を認めた」と叫べば、食口たちが、また後世の人々が、全て信じると思ったのでしょうか。

 しかし、この文を書いてもらうための対話の内容が、世の中に赤裸々に公開されました。この映像を見た人なら誰でも、お母様と亨進様がお父様を利用したと思うでしょう。お父様が本当に、亨進様の統一教を認めたと思う人はいないでしょう。

 そのビデオを見ると如実に表われていますが、真のお父様は異端者・爆破者という文を書きたくないということを明確に知ることができます。

 「私はここに顯進の名前を書かない」

 「誰の名前も書きたくない」

 しかし、お母様と亨進様が書いてもらった宣布文は、全世界に公文として出されました(6月7日)。この時、金孝律氏は南米大陸会長の申東謀氏に送る文で、「宣布文に文顯進の名前3字を刻み込めなくて惜しい。いつかはそうしたい」という意図をほのめかしました。


 「一つ惜しい点は、その宣布文に『文顯進』の名前3字を刻み込めなかったということです。後で必要であれば、再度、名前を打ち込んで、最後通牒をすることもできるでしょう」



 天宙史的葛藤の背後で、この人がどんな役割をしたのかを示す明確な証拠です。

 彼らは、1年後の2011年5月29日、顯進様の名前が入った真の父母様の宣布文(2011年5月25日)を作って発表し、ついに自分たちの意志を果たしました。







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事必帰正

※사필귀정/事必帰正사필귀정(サピルグィジョン/事必帰正)
 すべての過ちは、必ず正しい道理に帰する。
 物事は必ず正しきに帰する。
 不正は長続きしないこと。
 万事必ず正しい道理に帰するということ。

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