真の愛は なぜ貴いのでしょうか。

 愛は、考えでもよく、形でもよく、味でもいいのです。これが愛です。

 愛とは、東西が合わさるものであり、南北が合わさるものです。その次は、天地が合わさるものです。ですから愛は球形を成すようになります。

 口が真の愛に酔っているならば、ほほえむその唇がどれほど恍惚だろうかと考えてみてください。人間の五感が真の愛によって動く姿、神様に向かって動く五感の調和がどれほど美しいかを想像してください。美しさを通じた喜びは、神様一人では体験できないものです。美しさは、相対がいてこそ体験できるもので、それが神様の人間を創造された目的です。
 神様は、天地を創造された以上に、美しい内容を所有した人間の心情世界を旅行したいのです。

 神様も息をします。真の愛の呼吸をされるのです。神様も宇宙の拍子に合わせるので、真の愛を中心に宇宙が永遠に続くのです。ですから皆さんがここまで行ってこそ、神様の呼吸圏内に入って永生するのです。

 宇宙は、丸い形をしています。太陽も、丸い形です。すべての丸いものは、何を中心とするのでしょうか。自分一人では丸くなることができません。誰かを中心として関係を結んでこそ、丸くなることができます。このような関係圏を集約させる一つの物体、一つの存在物として登場する世界は、円形圏を基盤としています。ここで、円形をつくるものとは何でしょうか。調和の母体は、愛の作用だというのです。

 愛は、神経のようなものです。私たちが髪の毛一本を引っ張れば、体全体が引っ張られるのと同じように、愛さえ引っ張れば宇宙が引かれてくるし、愛さえ動かせば宇宙がみな和して、回るようになります。

 愛は、見えませんが、最も貴い贈り物です。それは不変性をもっているからです。黄金は不変の色、ダイヤモンドは不変の硬さ、真珠は不変の調和の色があるので貴いのです。しかし、宝物には生命がありません。真の愛は、生命がある宝物なので、もっと貴いのです。

 
                    (天聖経 P371~372より)

 真の愛を中心として、人間と喜びを分かち合いたくて神様は全てを創造されました。
 調和が成された姿とは、円形、球形を意味するのでしょう。


 



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