神様は、どこにおられる方なのでしょうか。

 宗教の中心とは何でしょうか。神です。神様です。もちろん神様に対する名前はたくさんあります。しかし名前が問題ではありません。その神様は二人になることができないのです。根源は一つなので、一つの神様です。一つの神様について話すとき、各国の言語が違うので一つの神様を表す名詞は違っていますが、その本体は一つなのです。

 天と地自体も自ら存在したくて存在するようになったのではなく、必ず存在するようになった動機と根源を通じて、ある源泉に立脚して生まれたということを考えるとき、ここから上がり、必ず中心的な主体性を備えて天地を動かすとか、あるいはここに創造するという力の作用体、根本の作用体がいなければならないのです。このような立場にいるその方を、私たちは神様と言いますが、民族が違い、言語が違うからといって、違う表現をするその名詞が問題ではありません。いずれにせよ、この宇宙の中心がなければならないのです。その中心は全体、この存在世界において、存在が作用し移動するとしても、その移動するのに従って移動するのではなく、この動く相対的な世界の中心において、億千万年動かない中心的な本体がなければならないのです。

 神様は外的に男性に似たとするならば、内的には女性に似たのです。神様は、強く、全知全能でもありますが、お釈迦様のほほえみに花を添えることができる慈悲の心もあるというのです。女性の中の女性のような心もなければなりません。そうしてこそ両面がみな生きるのです。

 神様も冗談が本当に好きです。ユーモアが好きです。ユーモアの大王は誰でしょうか。誰かと言うと、神様です。全知全能なのでユーモアも多いのです。笑うもときも、にこにこ笑い、おなかをよじりながら笑い、転げ回って笑わせることができる大王とは誰ですか。神様です。そんな大王が神様だというのです。

 神様も働けば、休まなければなりません。神様が働くのもすべて、休む喜びを感じようとするからなのです。神様も、そのすべてのものが相対的授受関係の因縁になっています。

 
                 (天聖経 P73~75より)

 
 神様を表す名詞は民族、文化、地域によって異なりますが、その本体は同じ方について言っています。人間が作り出した神様ではなく、無形なる根源的な神様は同じ一つの神様であるはずです。その神様は身近におられるに違いありません。





          
 



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