あの世にパスできるチケットはあるのでしょうか。

 今からでも、何かのことを出発させるときは、神様を中心として出発すべきです。これが原則です。
 霊界に行けば、そのような原則にどれほど同化して、どれほど一致するかということが、地獄から中間霊界、楽園、天国にまで、全部つながるのです。
 そうかといって、世界的に有名な学者だからと言って、霊界に行けば、天国に行けるのでしょうか。行けないのです。それゆえ、宗教界は、すべてを捨てて行けと教えるのです。みな捨てて行かなければならないのです。そのような論理が成立します。では、何が一番貴いのでしょうか。天のためにどれほど苦痛を受け、世界のためにどれほど苦痛を受け、涙を流したかということが、あの世にパスできるチケットです。
 
 それを神様の立場から見れば、神様は、うれしい神様でしょうか。うれしい神様だと思う宗教は、頭もなく、ただ常識外れの輩です。一番悲しい方が神様なのです。その神様が、今まで涙を流し、苦痛を受けたなら、それは神様自身のためではありません。神様が造ったこの宇宙のために、堕落した人類のために、今も涙を流しているということです。なぜそうなのでしょうか。心情の神様であるためです。

 霊界で宗教が必要でしょうか。必要ではありません。そこでは長老派とか、カトリックとか言う必要はありません。神様との生活圏内に入るのです。ですから、宗教は必要ありません。
 では、何が必要でしょうか。貴いものが必要ですが、その貴いものとは何でしょうか。神様の愛を受けられることが貴いのです。
 
 今日、統一教会では、心情圏ということを言いますが、心情圏の基地とはどこでしょうか。神様を中心とした、真の父母の愛、真の夫婦の愛、真の兄弟の愛が普遍化し得る世界が、心情圏の世界です。
 
                 (天聖経 P690~691より)

 
 神様を中心とした心情圏に立ち、生活することが貴いことだと思います。霊界は地上生活の延長線上にあるといいます。神様の心情をどれだけ慰めることができるか、これが重要なことだと思います。なぜなら、神様はずっと悲しみの涙を流してこられた方だからです。
 神様の心情を解放し、喜びを返すことのできる善なる実体を目指していきましょう。
















          
 



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