荻浦 茹先炊(じょせんすい)徘徊師さんのプロフィールページ

https://profile.ameba.jp/me



つい今しがたの雨…を拭う



と詠んで……???



だいぶ前に、自分で詠んだかも?


と…調べてみたら………有った (ノ゚Д゚)ノ



老いか?アルツ…?単にバカ?


才能の枯渇?


そもそも才能なんて有ったのか?



俳句や短歌や川柳や都々逸や短形詩やショートショートは

学生の頃当時流行りのタウン誌を作っていた友人に頼まれて以来、気が向けば作ってはいたが


ソレを見た地下出版の編集長に官能小説を書かされてからは

最近まで散文しか書いていなかった。


『詩心』は自分には無い。

中学生の頃、当時の美術教師から


「お前さんは、意味の有る絵しか描けない」


と言われ、画家を諦め、一番意味にマミレタ造園家を志して以来、自分の詩心や芸術性を疑い


……なら…有用性をちょっと芸術臭で作り上げる方法論を確立すりゃ良いか?


位に考えて来た。


他人は平気で『理系』『文系』と分けるが


その時、自分が『文系寄りの理系』だと判ってしまったからだ。


『造園』しか無かったのだ……


そんな半端な分野は…(ちゃんと造園に取り組んでいる方々には、ちょっと申し訳無いが…

まあ、マガリナリニモ造園設計家として生きて来たんだから…まあ、間違っちゃいない)



中学の担任は…単に恩師以上に世話を掛けて来たが……


たぶん、呆れ返るほど理解の困難な生徒の筆頭だっただろう……


高校も勝手に自分で探して、後は丸投げ


70年代当時、造園を教えてくれる高校なんて何処にも無い…のに、自分で電話をかけまくって


「造園?……変なヤツだなぁ…まあウチに来い、俺が教えてやる…笑」


と言ってくれた電話に出られた先生の高校に勝手に決めたんだから…



中学の担任は国語教師、だが…


『僕の牛

  振り向きながら

     売られてく』


みたいな見事な一句を詠む素直な生徒


ではなく



俳句、と聞いて


『俳句…とは』……の方が気に成るような生徒は


単に面倒臭い。



教育の仕組みから外れるからだ。


素直に『答える』生徒は判断し易いが……



なんでこんな風に訊かれたのか?


を気にする生徒は、面倒臭い。



『答え』の正解よりも

『質問』の意味や経緯に気を取られる生徒は…面倒だ………ろうな…



つい今しがたの…雨を拭う



俳句は『状況』を詠む。


ソレを『詩的』に表現する。



更に……余りにソコに囚われても、俳句のアイデンティティーを崩す。



つまり、表現者は評論家では無い。


ましてや分析家となると『教育』とは別の存在なのだ。


が……当然、そんな生徒も存在する。



大変だろうなぁ……教師…




………他人事でしか無いのだが…(≧▽≦)




………で



つい今しがたの…雨を拭う



………この句




そう、思い出して詠み直す位に気に入ってたんだ…(≧▽≦)


状況を詠み…ソレだけ…後は読んだ人に任せる。



光景とソコからの心情は…幾らでも読み取れる。




お気に入り。







濡れた傘を

 畳まずに置く

   雨上がり





名ばかりの冬空の…

 秋の風






  茹先炊(じょせんすい)