**Step by Step** -2ページ目

**Step by Step**

飾らず、素直に、一歩一歩。







「書けるだろうか」


「書けないだろうか」





わからないまま


書きたいのです。


思い出しては、迷い


迷い、止めては忘れ、


戻ってくるたび


心がうごく。


「まだだ」、「まだだ」。





迷い迷って、手を止めての


5ヶ月。


なにも変わらない、


一方で時間がたった分


確実に、変わっている。


何かかが変化したわけではないけれど


どこかがうごいている。





「書けるだろうか」


「書けないだろうか」





自分の頑なな部分。


頑固な部分。曲げたくない部分。


少し距離を開けて


それを見てました。


なだめません。


けれど


まつのです。


どうどう、そっか。


どうどう、そうだね。





それらが私に


合流してくれるまで


まつ。


はたして、


合流してくれたのでしょうか。


わからないまま


けれど


かすかな手のひらの感触を


信じて


右か左の選択に


一歩体重を預けるのです。






少し


肩の力は


ぬけたでしょうか。


これからがまた


たたかいです。






「向いているほうが、前」。


そう。


向いているほうが、前。






こわがらない。こわがらない。


大丈夫。








必要なのは、


「理屈」、では


ありませんでした。


それが、


わかった。







また、


ゆっくりながら、


再開しようと


おもいます。












おもったことを


かくんだけれど


どうもこうも


変なきがしてくる。


いつか役に立つかな


とおもって


はじめたんだけれど


だから


けっこうそのまま


泥つき野菜のように


かくんだけれど


なんだろう。


風船が破裂しないように


空気抜きで


かくんだけれど


もう、だんだん、どうなんだろう。


書いてることで


なんだかあんしんするんだけど


宛てのない文章は


どこかとおくに


とんでったまま。


透き抜けて


突き抜けて


吹き抜けて


どこか


とんでいっちゃう。


始めた時から


むじゅん、がずっと


あって。


ずっと、そのすきまを埋める


理屈を、


色々かんがえてた。


ほんとうに素直になるなら、


人の目は、


ほんとうは必要ない、ってやつ。


ほんとうは、1人でなんかやってれば


いいのだ。


始めたことに、


ほんとうに目的はあったけれど


それでも自己満足の影を


ぬぐいきれなかった。


でも、


すきまを埋めるため、の理屈が


必要な、そんな


どうしようもない、脆さ、のときも


あるわけで。


ひとりでは収まりつかない


どうしようのできない、不安定、のときも


あるわけで。


去年の5月。


ある意味、転換期、だ。


溺れるもの、藁をも、つかんだ。


どうにもこうにも


どうすりゃいいのか


さっぱり、すっぱり、


わからなくて。


そういう、段階。


だから、


今に至るまで、


そして、


今からその先へ。


少しずつ、形態が、変わっていくのも


おかしくはないなあ、と


おもわんことも、ない。


そうおもえば


形態を変えていくのも


わるいことでは、ない。


天才じゃあ、ない。


だから、


しぶとく、


諦めない、しか


方法は、ないのだ。


そろそろ


このままでは、


というきが


してきました。


どうするかは、


かんがえちゅう。


覚悟が


たりない


だけかも、だけど。






なんだか


思わず感動して


涙が出てきた。


いっつも気になることがある。


涙が出るってこと、は


どこかが琴線に触れたってことだ。


音楽か?表情か?それとも総合してか?


感動したっていうのは


具体的にどのあたりが琴線に触れたんだろう。


どういう瞬間、私の琴線は、響くのだろう。


私の中では、どういう類のものが、ひっかかるのだろう。


引っかかったとするなら、


それはなんだろう。


なんだろう。


嫌味じゃない。


知りたくなったって、いいじゃないか。


自分の好きなものについて考えていくと、


自分というものがその側面から、次第にみえてくる。


そういう意味で、


知りたい。とりあえず、は。


それが嫌味だと言われたら


元も子もないけれど。


ほら。


こうやって


自分のことすらよく


わからないような瞬間があって、


何の疑問ももたず


うながされるまま、


感動シーンで


泣いている。


なんだあ、それは。


というわけで・・・


やっぱり嫌味だろうか。


でも


勝手に感動しだす自分は


少し、ほんの少しだけ、


空虚、に感じたり、する。


そうでないときも


勿論、あるけれど。


もひとつ、


涙出ておもったけれど


感動の涙、は


この上もなくイイもの、だと


思ってるフシが自分にあったけれど。


すこし


ちがうみたい。


一概には、言えないようだ。


本当に実際に、


身内の危機には


身体の芯から搾りとられるように


ネジ曲がるような体感とともに


涙が出る。


流すための涙ではなく、


痛くて痛くてどうしようもない、涙だ。


だから、


ソレに比べると、


今日のソレは


とても幸運で、


とても空虚な、涙。


でも皮肉をぬいても、


やはり、しあわせなもの、だ。


痛まない。







映画。


みればみるたび、おもう。


ものすごーく


まとまっている。


誰かの一生並みの出来事が


ほんの数時間。


DVDで観るから余計にそう、


かんじてしまうんだろうけれど。


でも、


やっぱり、それには、


私なんかには想像できないほどの費用が


かかっていて、


さらには、


誰か役者さんだったり、スタッフさんだったり


監督さんだったり、


ベテランであったり、売り出し中だったり、


それぞれ長い目にしろ、短い目にしろ、


今後の生命線がかかっていたりするような


シーンが


何処かしこに


私の知らぬ間に、


映しだされているんだろう、とか。


やはり利益が一番だとはいえ、


つくるからには、


なにか伝えたかったりのテーマ、


言ってみれば、誰かの想い、が


そこかしこに


映しだされているんだろう、とか。


とか。


考えてると、


こんなにまとまってしまって、


私の生活のほんの一瞬にも満たない中に、


それだけの


感情や想いが


恐るべき濃縮度で


手元のDVDの数だけ


夕方観はじめる1,2時間の分だけ


あると思えば、


いやあ、いろいろ


恐るべき、だ、なあ・・



考えることは


ほんとまあ、


尽きない。






人間はどうしても


どうやっても


主観でしか世界をとらえられなくて


どうしても自分が世界の中心として


捉える生き物だという


記述を覚えてるけれど。


誰かの全身全霊の数多の切れ端が


かぶり、重なり合って


私の主観に


映しだされているんだなあ、っておもうと


私の意識は主観でいっぱいなんだけれど、


きっと、


世界のはじっこに、いるんだろうなあ、と


想像だけは、


できる。


想像だけれど。






映画、おもしろい。


しばらくは三昧。


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たんたん、と


していることに間違いはないんだけれど


とても、とても、よかった。


活字としての良い評判は聴いていたので


楽しみにしていました。


堺雅人さんの雰囲気が


映画全体に行き届いていて、


おだやかに


時にコミカルに


けれど、


私はしっかり、感動、してしまいました。


音楽、


とてもよかった!


同じ場面でも


音楽によって


なんだかとても、救われる。


私は批評家ではないし


さらに言うと、


大体、なんでも


それなりにおもしろいと感じる性で


それに、


そういう姿勢でいることを心掛けますから、


映画の評価等について、


誰かの参考には、決してならないと


おもいます、が。




私はとても、感動いたしました。