なんて言ったらいいか、
わからないけど。
うーん。
:一人ひとり、
こんなにも違うんだ。
じゃなくて、
:一人ひとり、
そんなに違わないんだ。
っていう、そっちの方が、
うん。
ほんとのような、きがする。
違わない、というか、
似たようなもんだ、というか。
いや、
二つを比べると、だよ。
相対的基準?
うん。
人とと違うことは、
確かに良いことだけど、
こわがってる?
怯えてる?
違わなきゃ、いけない、
みたいなどこか、強迫観念。
必死に探す、自分。
なんでかなぁ。
なんでそんなに、こわいのかなぁと、
思ったのです。
人と同じは、こわいのです。
きのうは、
とてもとても、とてもとても、
こわい日、でした。
ほんっとに、こわかった。ねぇ。
なんでかなぁ?
それは、
「取り換え」られないようにするため、
じゃないかと、
昨日の夜、思いました。
昨日読んだ本のなにかのどこかの、
ディズニーランドの「永遠」について。
永遠の若さ、永遠の子供、永遠の夢、
変わらないものへの憧れ。
でも、
永遠であり、変わらないままでいるには、
傷んだところは、とりかえるのです。
すぐ。
取り換えれば、また、だいじょうぶです。
「永遠」です。
それをみて思いました。
人間の組織も同じかもしれない。
傷んだら、とりかえる。
代わりになるものがいる、って、
どこか知ってるのです。私たちは。
切り捨てられないようにするためには、
独自の個性をもたなきゃ。
役に立つ個性を。
この場にふさわしい個性を。
いて当然といわれる個性を。
居場所を確保できる個性を。
個性を個性を個性を。
切り捨てられたら、どうしたらいい。
どうしたらいいんですか?
むかしのひとは、
家柄がありました。
身分がありました。
きっと家族の役割もありました。
男としての使命がありました。
女としての義務がありました。
守らなければいけない規律が多かった。
「型」というものが今より圧倒的に多い。
「型」は自分を守るもの、手段だと、
私が思いました、じゃなくて、ある本にかいてありました。てへ。きもい。
今はそんなに重視しません。ね。「型」。
自分の立場を証明するもの、
守るものがない。
個性は時に自分を守る、ような気がします。
皆、似たようなことを言うような気がしてならないのです。
私もそう。
あの人も、そう。
彼らも、そう。
成長と思った言葉は、
どこかの本に載っていて、
凄いと思ったものに、
同じような感想が集まって、
探せば探すほど、
似たこと言う人がいて、
古典に感動する場面があって、
それでも、
次の自分だけを、探す。
探す、探す。
いびつなんです。
似ててもいいと思うんですよね。
というか、
基準?
水準?の問題のような。
どのレベルを「違う」とするか、「似てる」とするか。
なんか、いびつなんです。
似ててもいいと思うんです。
同じようなものでいいとおもうんです。
というか、あきらめろとかじゃなくて、
似たようなものだと、思うんです。
奇抜でもなく、
特別でもなく、
主人公でもなく、
誰に称賛されるわけでもなく、
普通としか言いようがなく、
いいところもあれば、悪いところもあり、
それすら特徴にすらならず、
そんなもの。
でも、
どこか、
ちがうんです。
誰だってわかるけど、
どこか、皆、ちがってるんです。
『同じ中の、違うもの』
私は、それ、だとおもうんです。
かけがえのないものがあるとしたら、
それだとおもうんです。
光るものがあるとするなら、
それだとおもうんです。
私はちゃんといえてるかな?
言葉はこわいんです。
こわくてこわくて、こわい。
誰が見てるからというわけでもなく、私はこわいと思う。
発するのは、こわいと思う。
消そっかな、やめよっかなって。
こわいけど、なんでか、また書いてる。
まぁ、それは、いい。
今は、いい。またあとで、いい。
似てるか似てないかが問題なのではなくて、
些細な、細かな、決定的な違いを、見たい。
見たいけど、まぁ、見なくてもいい。
ただ、
そっか、って、笑ってくれるなら、
それでも、いいよ。
そっちがうんと、いいよ。