アマチュアスポーツは、「芸術・学問・スポーツなどを、職業ではなく、趣味や余技として行う事」と定義され、どの分野においても(一生懸命)行うとなれば苦労が付きまとうと言うことです。
どのような分野でも、好きでなければ出来ないし続けられません。でも、これも考え方一つです。例えば、どの様な分野においても仕事(プロ)となるとアマチュアにない厳しさがあるからです。

自衛隊体育学校のように、半分プロの集団は「オリンピックに出てメダルを取る」という明確な目標がありますから、それが出来ない人間は「成績不良」と判断されてしまいます。
そう考えたら、その競技その競技で大変なことや問題があるにしても、アマチュアは楽しめる部分があるので、必要以上に気張ることはないという気楽な部分もあるのは事実です。

話は変わり、最初に空気銃(エアライフル)を撃ち始めた頃から、難しい立射(りっしゃ)というものに挑戦しました。その当時、私設の空気銃(エアライフル)射場が当時市内に出来ており、私はそこの会員になって(それこそ)一生懸命通って練習したのです。

でも立射という姿勢は不安定ですから、保持している銃が、十二文銭の標的の半分位上下左右に動き、全く狙いが定まりません。「まあ、最初はこんなもんだろう」位の意識でこつこつ練習に励み、何とか(コンスタントに)狙う的に当てられる様になるまで、とても時間がかかったことを覚えています。

その時に、つくづく感じたことを表しますと、「射撃の弾痕は、自分自身の心(精神状態)を表している」という事実です。
銃が揺れている時、引き金を引いたら弾は予期しない方向に飛んでいきます。なるべく、的の中央に当てようともがくのですが、なかなか上手く命中しません。

また、「この辺でいいだろう」という(中途半端な)妥協が一番良くないのです。発射した弾は、「この辺でいいだろう」という所に飛んでいき、パシッと標的に穴を空けてしまうのです。
十二文銭の横30センチくらいある標的を手にして、自分自身の精神状態が「いかに、四方八方に散らばっているか」を見せつけられた気になったものです。

要するに、精神が安定していない、集中力がなくすぐに妥協してしまうという、自分自身の(心の)弱さを見せつけられたという訳です。
それにもめげず。コツコツと練習に励んで徐々に腕前は上達しましたが、そんな中(ある日)地元のライフル射撃協会員であったYさんが撃ったという(立射の)記録を見て驚いたのです。私が、テーブルに座って的に向かって撃った点数と、ほとんど変わらなかったからです。

最初、全く信じられなかったというのが正直な気持ちです。素直に、その現実を見たときに、同じ人間がやることと思えませんでした。・・・Yさんは、大学生時代日本代表で射撃の世界選手権まで出場した人ですが、異次元の実力を持つ人物であると、素直に認めざるを得ない一件として記憶に残っています。
(つづく)