10日の夜、洗い物をしていると家電が鳴った。手が離せないので旦那に出てもらう。

この時間だからどうせ子供の塾とか教材の勧誘電話だろうと思っていると、母方の叔母からで私に用だという。何時もなら母あてなのに何だろうと思いながら電話口に出る。

今いい?時間大丈夫?としきりに聞いてきたので、ただ事ではないなと悟った。


「あのね、有理さんが亡くなっちゃったの」


泣きそうになりながらも早口で告げた。

有理さんとは叔母のひとり娘で私の一つ年下。

同じ市内に住んでいたので、小学生の頃はよく遊んだものだ。


「えっ、うそ………」


あまりにも突然の知らせで言葉を失った。


「本当なの。今日ね、東京の病院から連れて帰って来てね、家に安置してても大変だから〇〇会館に預けてきたわ」


確かにこの時期は暑い。時々最高気温が全国一位になってしまう土地なので、出来ればその方が助かる。


「乳ガンはちゃんと取ったのよ。でもね、リンパに転移してて腫れてくるまで本人も医者も気付かなくってね」


乳ガンだったことは知っていたけど、初期だったからきれいに取り除けたと聞いていたのに。

残念で仕方がないショボーン


「それでね、〇〇〇ちゃん(←私)はよく遊んでもらったし相談にも乗ってもらってたし、お世話になったから通夜と告別式に出て欲しいんだけど、お仕事大丈夫かな?こぢんまりと親しい人だけで送るつもりなんだけど」

「今週は早番で代わってくれる人を頼まなきゃだから、確認が取れたら連絡するね。多分変わってもらえると思うから、参列の方向で」

「ごめんね、ありがとね」

「叔母ちゃん、謝らないで」


このあと少しやり取りをして受話器を置いた。

旦那、別室で夕食中の両親に話し、急いで私の妹に連絡。

この夜、なかなか眠れなかった。


翌日、快く早番を代わってもらえたので朝のうちに連絡。妹も参列すると伝えると喜んでくれた。

翌日の半休と翌々日の休暇届を出し、髪の毛が伸び放題だったので急遽美容院を予約。

仕事終わりに靴屋へ行き、中がボロボロだったパンプスを新調、お金をおろし香典袋を用意して帰宅。夕食後、喪服のファッションショーをすると、お腹周りがパッツパツだったので息子から『タヌキ』の称号を頂く驚き

ガードル買っといて良かったよ照れ

両親は通夜と告別式に出ない分、葬儀場へお顔を見に行きお別れをしてきたそう。穏やかな顔でただ眠っているだけみたいだったよと教えてくれた。


通夜当日、午前中にやれるだけの仕事を片付けて帰宅。急いで昼食をとり制服のまま美容院に駆け込んだ。事情を話し、髪の毛を切ったあと簡単なヘアアレンジを教えてもらい、ついでだからと後ろに三つ編みでセットしてもらえた。

助かるぅ!

この夕方、道が混む前に自宅を出発。思ったより早く着き、叔母と話しながらカードに記名していると妹が到着。急遽妹も告別式参列とお斎につく事となった。まだ時間があったので短冊にメッセージを書いて欲しいと頼まれる。うちの父の提案で七夕生まれだからちょっと過ぎちゃったけど短冊に皆でメッセージを書いてロビーに飾り、棺の中に入れたらどうだ?と。わざわざ細い竹を用意してもらってて、妹と私とでご面倒をおかけしてスミマセンと謝り倒すショボーン

しかし叔母はいいアイデアだよと称賛してくれた。

通夜式のあと、通夜ぶるまいがない代わりにお弁当と飲み物を渡され解散。私は妹と駐車場で暫く長話をして帰宅した。

自宅へ帰ると息子が慌てて私にりゅうちぇるの訃報を知らせて来た。ジシだと?ショッキングな知らせに滅入ってしまう。きっと誹謗中傷が酷かったんだろうなえーん


翌日、妹と到着時間を合わせて葬儀場へ。

故人とお話をどうぞ、と職員さんに諭されて会場へ行くと叔母が愛しむように対面していたので邪魔しちゃいかんねと会場からそっと離れてロビーでお茶をしていると、従兄弟夫婦が東京から駆け付けてくれた有理さんのお友達を連れての到着。従兄弟が務めているお店で息子のゲーミングパソコンを購入したので、その後の報告をして談笑していると告別式のお時間ですので会場へと案内。時間はあっという間に過ぎていく。

旦那実家と同じ宗教のお寺様の読経後、お坊様は挨拶後に帰ってしまった。

あれ、私の記憶する告別式はおリンを鳴らしながらお坊様の先導のもと出棺なのにな。宗教の違い?時代の違い?

皆で棺にお花をたくさん入れてあげた。名前が有理なので百合を入れる人。私は笑顔いっぱいな子のイメージだったので向日葵を多めに入れてあげた。最後の別れをして蓋を閉め出棺。

霊柩車に続いて地元の斎場まで行き、本当の最期の別れ。淡々と作業をこなす職員さん。同級生(女の子)に似ていたが、名前が違うので他人の空似だった。

彼女の眠っているかの様なお顔を目に焼き付けお別れをした。もう、涙が止まらなかった。

ここでも読経は無いんだなーと思いながら棺が扉の向こうへ納められるのを合掌で見送った。

近くのお斎会場へ移動し、食事をしながら彼女の思い出話に浸った。

途中、マイクロバスで斎場に移動。お骨拾い。ここまで参加したのは母方の祖母が亡くなった時以来かも?

まだ熱く熱を持った台に気を付けながらお骨を皆で代わる代わる納めていく。

最後、喉仏を叔母が納めて蓋をして全ての儀式が終わった。

再びお斎会場へ戻り、デザートを食べ解散。

怒涛の一週間が過ぎていった。


天国でお父さん、伯父さん、お婆ちゃん達に逢えたかな?

まだ逝っちゃうのは早過ぎるよ。いつかまた逢えるその時まで。

さようなら。