悪天候続きの夏だった割にはまあ、農作物の収穫はそれなりに得られている。

 

クルジェット、栗かぼちゃ、茄子、ピーマン、唐辛子、とうもろこし、トマト、春菊、さやいんげん、枝豆。

特にクルジェット、栗かぼちゃ、トマトは夫婦二人で食べ切れる量じゃなくて困る。幸いフリーザーという便利なものがあるから冷凍保存するけど、それでも余らしてしまいそうになるから、身内や知人や隣人に分配する。

 

今日も知人に配るため電車でパリへ向かった。(本当は別に用事があって、ついでなんだけど)

で、その車両で景色を眺め揺られながら「ああなるほどこういうことかもしれないな。」と思ったことがある。

 

最近、経済学とか生物学とか考古学とかデジタルアートとかの分野で活躍されているらしい学者の動画を見る機会が増えて、分からないながらも頭脳の活性化に励んでいる。そんな方々の発言に影響を受けたかもしれない。

 

「狩猟生活を営んでいる人間の意識を考えてみた。

例えば猪を一頭狩るとする。

とても一人じゃ食いきれないし、ナマもので腐っちゃうからまあ、分配もしょうがないかなみたいな。果実やなんかも放っとくとカビ生えたりして基本保存が容易じゃないから、やっぱり分配。みたいな。

 

人間が分配を損と感じたり、独り占めの意識を芽生えさせたのは麦とか米の栽培に移行して農耕生活をはじめてから、いわゆる蓄積可能な穀物(資源)を蓄えて富を誇示する心理が働くわけで、現代までそれは続き、貨幣という名で存在し、あらゆる評価の代価が貨幣であり、で利権や富ををめぐって戦争も起こる。」みたいな。

 

と、こういう解釈をで間違いないか、帰宅してからchat gptのAIに「だよな?」みたいな感じで質問してみた。

 

<社会や経済の変化は単純な一つの要因だけでは説明しきれない複雑な現象です。狩猟採集社会から農耕社会、そして資本主義経済への移行は、環境、技術、文化、個人の心理など多くの要因が影響を与えた結果です。提案された解釈は一つの側面を捉えていますが、全体の理解には多角的なアプローチが必要です。>

 

まだちょっと距離を置かれている感じがして、飲みながらのタメ口的会話は成立しなくて、今日は冷たく突き放された感じ。