午前10時、まだ寝床にこもって夢見心地で幸せな気分でいると突如罵声を浴びせられた。

 

「今、畑の様子を見に行ったら何がなんだかわけわからなくなってる。やり始めたら最後まで責任もって遣ることが出来ないのっ!」

 

到底反論を受け付けてもらえる状態じゃなかった。

 

しょうがないので、のそのそ寝床から這い出し、下に降り、台所でコーヒーを飲む間も散々怒りと苦情を聞かされた。
玄関の椅子に座り、煙草に火を付け、吐く煙をフワーと宙に漂わせ、意識を回復させるべく努力をしていると、そのモタモタした動作に更にイラついた妻は、鍬とシャベルと手袋を押し付け、ぼくを家から追い出した。

 

畑に来てみると「なんだ、言うほどひどくなってないじゃないか。」そう感じた。

確かに今年は今一つ農作業に何故か身が入らない。情熱が沸かない。
そこでチョッとした実験がてら、方針を転換してみたのであった。

 

「雑草は踏まれても踏まれても、たくましく生きる。君たちもこれから社会に出て苦労をするだろう。雑草のように挫けずたくましく生きていって欲しい。」
みたいな教訓は誰しも一度は聞いたことがあるだろう。こう言う擬人化は嫌いなんだけど、言い得て妙なのかチョッとよく分からないけど参考にした。

 

大豆でもいんげん豆でもトウモロコシでも何でもいいけど、種を撒くとき4~5粒を同じところに撒く。勿体ないから1粒だけ撒くと発芽率及び成長速度が低い。これはここ数年のぼくの経験によるものなんだけど、事実なら一体何故なのか? なにが起こっているか? 推測してみた。

もしかすると、人と同じような競争が起こっているのかもしれない。

雑草の成長は早い。
それで、苗が成長する過程で雑草と争わせてみてはどうかと考えたわけである。

 

もうひとつの理由は、長期天気予報によるとどうも降水量が少ないらしくこの先畑は乾燥するだろう。水やりが欠かせなくなる。嫌だなと思った。

どんなに雨が降らなくても早朝庭を歩くと露で足が濡れる。」事実をぼくは知っていた。なら...
そうそうこれこれ、これを手段として、苗の回りに雑草が生い茂っていれば潤いが保てるのではないか、水やりの手間が省けるのではと判断した。

 

なので、「チャンと目的通りになってるじゃん」である。

家にすぐ戻ると怠けていると思われるので、1時間ほど申し訳程度に雑草をむしった。

 

最近はもう「奥ノ畑二居リマセン。」です。