落語の演目で「双蝶々(ふたつちょうちょう; たぶんこう書いて、こう読んだと思う)」という噺があったと思う。名人「三遊亭圓生」が演じていたと思う。湿っぽい噺の多い噺家で父の好みの落語家ではなかったが、ぼくは深夜ラジオや深夜テレビで聞くことがあった。

 その話のなかの一節に、主人公(幼少期)「長吉(たぶん)」の義母が夕飯に「おかかご飯」をこしらえたのに長吉が

 

「 猫じゃあんめーし、毎日 々 おかか飯なぞ食ってられっか、おっ母ァー、寿司を食うから銭おくれよ。鮪のトロのいいところがあるから、二ツ三ツつまもうと...」

 

と悪態をつく場面がある。

 

 この噺とぼくの人生にはなんの接点もなかったが、幼少長吉の気持ちを今は少し理解できる。

 

 ウニや赤貝やコハダやカンパチのにぎり寿司が食いたい。

 鰻丼が食いたい。

 天丼が食いたい。

 カツ丼が食いたい。

 それが無理ならせめて「ざる蕎麦」でもいいから食いたい。

 それも無理なら冷奴でもいい。

 

 

 ホントもうクルジェットは嫌なのである。毎日 々 皿のどこかしらにクルジェットが盛られている。いや、贅沢を言っているのは充分承知している。世界には飢餓で苦しんでいる人が多くいることも知っている。食うものがあるだけマシじゃないかと妻や娘から非難を浴びることも覚悟している。でも、「もう本当にクルジェットはいらないから!」

 

 畑に行くと、クルジェットの苗がいくつもの花をつけていた。正直(また!そして、まだ?)という気持ちだった。

 我が人生一生分のクルジェットをこの秋に食うのだろう、そう覚悟を決めなければいけないと思った。