忍者

 

 以前まだ勤めに出ていた頃、会社の同僚に M (フランス人) と言う青年がいた。

 M君は日本文化に関心があり、特に殿様とか侍とか忍者が大好きで、まあ結構、詳しいことまで知っていた。
 例えば織田信長の家紋はなんだとか、黒田官兵衛は黒田如水だとか、本多忠勝は家康の家臣でナンバー1とか、言わゆる、どうでもいいことを言いに私にまとわりついてきた。
 私が歴史を知らないので、自慢したかったのかもしれない。

 職場に新選組の羽織なんか着て出社してくる。

 「誠」とか「神風」とかプリントされた鉢巻きをしてくる。
 宮本武蔵に傾倒している。まあ小説や映画上での話なんだろうけど、

「オレ、負けたことないもんね。」 とか今のトランプみたいなことを言ってるし、
ひとんち来て「一手お相手お願い仕る。」 とか言って全然お願いじゃないし、勝手に上がってくるし、断っても何度も来る。

 挙句、今度来た時「ご当主不在なら」京都のどっかの橋に「負け」の張り紙を張ると脅しをかけるし、吉岡家はとんだ災難に見舞われた、と本当にそう思うから、そんなのが好きなの?と訊いてみたりした。

 災難と言えば、吉良上野介もとんだ災難だと思う。癇癪持ちの浅野君が何が気に入らなかったのか、突然吉良さんに切りかかってきた。何が何だかわからず吉良さんは逃げたが眉間を切られてしまった。
 後で聞くと「ニヤっ」と笑ったからだという。
 そりゃ笑う事あるでしょう。友達と並んでしゃべっていて、なんか面白いこと話していて、笑っちゃうことあるでしょう、いくらお侍さんだからと言って。笑いながらちょっと横を振り向いたら偶然浅野君が居ただけでしょう。

 そういえば、1970年代、東京には浅野君みたいなのがいっぱいいたな。
 電車で座っていると向かいのガラの悪い学生が「ガンつけた」とか言って因縁付けてくる。
大体パンチかリーゼントで額に剃りを深く入れ眉毛は剃ッていて、足を大きく開いて座っている。
 そりゃー目が合ってしまうこともありますよ。たまたまですよ。正面座ってるんだから。
「次の駅で降りろ。」とか言ってくる。あぁ嫌だな、帰ってアルプスの少女ハイジの再放送見たいんだあけどな、と思っていても許してくれる気配がない、取り付く島もない感じで、仕方なく付いて行って、電車のドワが閉まる直前に

「あっ、忘れ物。」

と言って車内に戻って難を逃れたことが数度あります。

 まあそれで、お咎めは浅野君だけって、当たり前なんですが、浅野家御家お取壊し、家臣は路頭に迷い、48人の人が吉良さんを逆恨みするという、なんともトンでもない話で、
そんな時代、良い事なんて何もないよ、と問い質しても、やはりM君、侍や忍者が好きだと言い張る。

 人が好きだという事を、私の主観で否定するのもどうかと思うので、それ以上は発言を控えてはいたのですが、事あるたびに

「忍者っていいな。」、

「忍者ってカッコいいな。」 としつこいので、

 

 上の絵をM君に見せて、
「この二人のうちどちらかが忍者です。さあ、どっちでしょう ?」 と、やってみた。

 

 すかさずM君は「右」と答えたので、

 

 「バカか、君は。今ならコスプレで通じるけど、こんな格好をして街中歩いていたら、絶対疑われるだろう。

 通報されて、岡っ引きが来て番屋に連れていかれる。連れていかれれば拷問にあって根掘り葉掘り聞かれ、いくら遊びでやってましたと言っても、無理だね。
 だって当時の日本人は、四六時中働いているか食うか飲むかヤルか寝るくらいだから、無理だね。信じてもらえないね。冤罪で捕まって、投獄で、死罪で晒し首だね。
 忍者はスパイで、見つかったら殺されるんだから、なる丈目立たないように生きなきゃならない。
 だから、答えは左だよ。君が憧れている侍の時代に行くことがあったら、ほんと気を付けてくれよ。」

 

 と言ってM君を黙らせた。

 会社を首になり、退社する時M君が近づいて来て、「前描いてくれた忍者の絵、あれくれないかなぁ」と言うので、

 

 あれは、自分でも思いのほか巧く描けたんで、悪いけどダメだよ、と言って渡さなかった。