lavoir

ラボワ−:洗い場

 

 うちの庭を水源として脇に公共の洗い場があります。

 

 公共なので皆が使うものであるのに、今やこんな田舎でも各家庭に水道や下水が引かれているので、もうぼく以外は誰も使わない。

 晴天で暖かいので、今日は庭の畑にできた大根を洗うためにじゃぶじゃぶやっていたら、近所に住むおばあさんに出会った。

 人が持つ基本的な共通の関心は天気と健康である、とそう思います。それを越すと人間関係が厄介になります。ここでもし、アートや文化や経済や政治について語っても、たぶん話が咬み合わないだろうから、距離を取って世間話をしました。もっとも、ぼくにはそういう話題を話せる知識も意見もないのだけれど。

 

 83歳だそうで、別れる時「お互い元気でいましょうね。」と言われた。同年代と思われたのかも知れない。ぼくにはまだ20年はあるのだけど。

 でも、若い人にとっては60も80も同じか。思えば、子供の頃は50過ぎたら60も70も80も90も、皆年寄りで同じに見えたものだから。

 でも実際にその歳になってみると、やっぱり違う。ぼくはまだ若い、そう思うのです。

 

 今さっき、誰も使わないと書きましたが洗い場としては誰も使わないという意味で、夏になるとここは若者のカップルの憩いの場となる。

 

 若者の憩いの行為はちょっと目のやり場、耳の置き場に困る。生け垣で見えないものだから、誰もいないと思ってするのだろうけど、ぼくはすぐ隣で畑仕事をしているわけで、息を殺して作業するのも一苦労なのである。

 

 本当に申し訳ないけど、そういう時は草刈機のモーターを全開にして騒音を鳴らすか、チェーンソーで薪を作ったりして、憩いの行為を台無しにします。

 

 ぼくはこの界隈ではかなり有名人らしく顔が知られています。それは外見上目立つからに他なりませんが、子供や若者からは偏屈爺と噂されているそうです。