年々厳しくなる一方の神経痛とガン治療の後遺症で、もはや生きることに疲れ果てているのだが、私のホームランに夢を託してくれている人達がいて、私がホームランを打つと大喜びして下さることが生き甲斐となって生きる意欲を保てている。
そして、とうに平均寿命を越えていつ死んでもおかしくない85歳という年齢でようやく“老後に備える気持ち”が沸いてきて、地元の“カラオケ会”に入った。
自分が歌うことより人が歌うのを聞くのが好きなのだ。
その会のメンバーの女性が男性陣の為に毎回手弁当を作って来て下さるのだが、外食生活の私にとってはコレが何よりの楽しみとなっている。
その人が“倫理”の会員で、私に“新世”という機関誌を三冊下さった。
私には、倫理の塊のような師匠からゲンコツで叩き込まれた“絶対倫理”が心身に沁みついているので、“他の倫理”は入る余地は無いのだが、この本にはためになることが一杯書いてあるのがわかっているので少しだけ読む。
私の師匠の倫理は「人の為になる男になれ」が基本で、「お前の葬式には500人以上の参列者があるように命がけの研鑽努力を積め」だった。
そしてこれを遂行するにあたっての基本は「無から有を生みだす為の先駆者、開拓者精神を忘れるな」と「壁に当たったら困難な方へカジを切れ」なのだ。
20歳から85歳の今日まで、自動車社会でもバッティングセンターの世界でもコレをまっとうして来ている。
その結果は人が出来ないことをやれて人助けができたり、何かにつけて素晴らしいとても良い人が私を引き立てて下さっていて、“最高にありがたい人生”を送らせてもらっている。
そんな私が頂戴して、そして今後購読して行くことにした“新世”という本だが、コレを読んで共感を覚えた項目をバッティングセンターで付き合う若い人たちに私の経験談を少し付け加えて伝えて行くことにした。
8月号の表紙に“暗闇に親しむ”と書いてある。
まさに我が意を得たりである。
文字通り長年実行しているのだ。
真夜中、真っ暗闇のなかで素振りを行っている。
ボールの色々なコースをイメージしてのフルスイングだ。
何も見えないので怖くて凄い圧迫感があるので実戦感覚を養えるのだ。
これを取り上げたテレビでは“心眼強化トレーニング”と紹介してあった。
私がいまだに若者達に負けないのはこのトレーニングをやっているからだ。
若者達にも勧めているが、誰もやっていない。
夜は大事な寝る時間だからだそうだが、その大事な事を少し努力へ振り向けることが彼等の人生のすべてに大きく影響してくるのだがな…
“新世の丸山”さんは“暗闇の中にこそ真実の何かが潜んでいるのかもしれない”と書いておられる。
まさにその通りで、バッティングに関してだけでも多くのカギとヒントが潜んでいるのだ。
私はそれを取り出して活用し、若者達よりも遥かに不自由な目でも彼らとの戦いで高い勝率を得ていて気分のいい思いをしている。
“新世”、いい響きだ。
私の目も今まさに“新生”なのだ。