前回⑦の話は↑

 

1980年4月12日 晴れ パリ→シャモニー

パリリオン駅7:48 出発

ST,GERVAIS 乗換

シャモニー着15:57   727km 8h09

パリからシャモニーParis(lyon)→ST,GERVAIS→Chamonix

パリでは時間など気にせず、眠くなったら眠り、起きたくなったら起きるという、時間を全く気にしない生活を続けていたので、朝5時50分起きはつらかった。

昨夜のうちにパリでお世話になった吉井さんと、マーシャルホテルのおばちゃんにお礼をすまし、日の出前にザックを背負って、23日間住んだパリを出発。

 

今日の移動は電車でシャモニーまでの727km。

リヨン駅から7:48分発の電車に乗り込むと、ほとんどが予約席だった。コンパートメントではなく、日本と同じ様な向かい合った席。

ビュッフェが近くにあったので、持ってきた食糧には手を付けず、ビュッフェでお昼を食べたところ、なんだか分からない肉とフライドポテトとオレンジジュースで25F。

値段の高い食事だが、だんだんと高くなっていく山々を眺めながらの食事は格別だ。

ヨーロッパアルプス

ところが景色を味わっているまもなく、車内放送でなんだかはっきりと聞き取れないが、切り離しをするらしく席へ戻れという。切り離しをすることなど全く知らないで乗り込んだが、運良く乗り込んだ車両はそのままシャモニーへ行くようだ。

Bourg-en-Bresseをすぎた当たりからの山の景色とAix-les-Bains近くの湖はとても良い。特に今日など天気がいいから一段と良い。

 

フランス語で席は空いているかとか、車掌から切符を見せろとか、ビュッフェでもうじき切り離しをするから戻れとか、いろいろ言われるが、あて感でだいたい何を言っているのか当たっていた。

この電車はどこまで行くのかちょっと心配、どうもGare de Saint-Gervais-les-Bains-Le Fayetで乗換のようだ、待ち時間は10分間。

シャモニーへの電車Bourg-en-Bresse~Aix-les-Bains~Gare de Saint-Gervais-les-Bains-Le Fayet~Chamonix

進行方向右手に雪をいただいた山、そして人もまばらな電車は野を走る。アルプス的な雰囲気。

電車は山を一つ越え、AnnecyからLa Roche-sur-Foronに向かうところ。

電車はシャモニーに近づくにつれ、緑の牧草の上を登り、降り。

遥か彼方には雪を頂いた山々が見える。どんどん下って行くので雪山がどんどん高くなっていく。ちょっと残念なのは晴れて雲も見あたらないのだが、霞のようなものがかかってる。

パノラマ写真を見るような風景の連続、窓を開けるとパノラマ写真では感じられない、からっとした冷気が入り込む。

 

シャモニーの街へ着いたのは午後4時、快晴。

シャモニーの街は大都会、予想していた上高地のような所とは違い、裏切られた気持ちだ。想像していたシャモニはひっそりとした村で、山小屋風の家々が建ち、緑のカーペットの上に牛や羊が遊んでいる姿を思い続けていたのに、それが大観光地だった。

街のいたるところにお土産屋やカフェがところ狭しと店を広げ、パリの街中を歩いているような格好の人達で、ものすごい人出である。

シャモニーモンブランChamonix-Mont-Blanc

今のChamonix-Mont-Blanc

17時過ぎ、YHへ行ったが満員だった。仕方なく、インフォメーションで紹介されたスキーステーションへ行ってみることにした。

しかし17時半にならないと泊まれるかどうかわからないとのことである。

ホテルが決まらないからせっかくの風景もじっくりと味わえない。もしホテルがどこも満員だとしたらどうしようか。このものすごい人出では、これじゃホテルも満員というのもわかる。観光地はこれだからいやだ。シャモニーはやはりテント生活に限る。

インフォメーションで紹介してもらったスキーステーションではなく、シャモニの街からスイス側へ行った、街はずれのChamoniardと言う名のスキーペンションへ行ってみた。

シャモニーのホテルChamoniard

運良く空いていたが、案内された部屋は2段ベットが4つもある大部屋で、先客の7人は全員女性ばかりだった。宿のおばさんがドアを開けると一斉にこっちに視線を投げかけた。

こう言うのにあこがれてはいるが、いざ一部屋に女7人の中に、ただ1人男が泊まるとなると、かえってこっちが腰が引けてしまう。

 

客でいたイギリス女性に、ペンションのおばさんに違う部屋にしてくれるよう、頼み込んでくれと通訳してもらうと、布団部屋のような狭い2畳ほどの部屋に泊めてもらうことになった。

この小さな部屋はさっきの大部屋と壁ひとつ隔てたところにあるので、俺が大部屋をでた後、みんなで大笑いしているのが聞こえる。きっと、女軍団に恐れて部屋を替えてもらったのを見抜いているのだろう。男一人は弱く、女大勢はどこの国も恐ろしいものだ。

今もあったChamoniard

1泊33F,2泊で66F=15$の支出。

ここは大部分(全部)フランス語を話す人間ばかり、英語は聞こえてこない。

夕方、小高い丘へ登ってみるとエギュー・ディ・ミディが赤く染まり美しい姿を見せていた。日が沈むと気温がぐんぐん下がり、シャツ一枚では寒いくらいだ。

天気は抜群の良さで雲一つない、難をいうなら少し霞がかかっている。10度C。

 

1980年4月13日 快晴 シャモニー

7時少し前に起床、5時半頃目を覚ましたがまた寝てしまった。頭がちょっと痛い、風邪かな。

シャモニーの街は人が多すぎる。まるで夏の軽井沢のようだ。

ケーブルでプランプラーズまで行くと一面雪だらけで、かわいい女の子達がスキーをしていた。

シャモニーのロープウェー

シャモニーのロープウェー

天気は今日もいいので眺めは抜群、ドリュの眺めが一番いい。雪の中に顔を出している大きな岩に寝そべって、正面にメールドグラスやシャモニ針峰群、モンブランを見、横目でスキーをしている綺麗な女の子達を眺めていると此処は別天地。雄大な自然に囲まれていると、なんだかせこせこ歩き回っているのがばからしくなってしまう。

モンブラン丸い山がモンブラン

プランプラーズPlanpraz

プランプラーズ

プランプラーズの岩の上で日光浴をしたので顔が少しひりひりする。日に焼けた。サングラスは必要だ。プランプラーズからアンデックス(2385m) まで歩く予定を立てていたが、あまりに雪が多すぎて無理。

プランプラーズPlanpraz-Index de la Glière-Les Praz Church

歩いてレプラの街まで行き、教会をバックに写真を撮った。

レプラの教会Les Praz Church

今のLes Praz Church

Cafeで昼食をとるとビールとレモネードと食べ物で33F20。

シャモにの標高は1090mそして今日のプランプラーズは2020m。

 

1980年4月14日 晴れ シャモニーからジュネーブへそしてニース

Chamonix 8:44dep

St,Gerrais 乗換

Bomeville 乗換

Cluses 乗換

La Rochesur Foron 乗換

Annemasse 乗換

Geneve 乗換 arr3:00

Nice へ  828km

シャモニーからジュネーブChamonix-St,Gerrais-Bomeville-Cluses-La Rochesur Foron-Annemasse-Geneve

なくしものが多い、パリを出るときロープを忘れ、昨日はボールペンとライター、タバコ、パリで時計、ロンドン(キャンプ)で眼鏡、Tシャツ、靴下、気をつけなければいけない。

シャモニーの街にもう少しいたいけど、7月に頃戻ってくる予定なので、ジュネーブへ向けて出発。

8:44シャモニー発、景色はシャモニーよりサン・ジェルヴェ駅付近の方がずっとアルプス的な雰囲気。緑の芝の上を電車が走り、丘には転々と家があり、そして雪をいただいた山、車も少なく人も少ない。アルプスだなと感じる景色。

 

La Roche-sur-Foronへ行く途中2つ手前の駅(Bonneville)で間違って降りてしまった。鉄道旅行第一回目の失敗。

トーマスクックには乗ってない小さな駅を幾つも通り越すので、乗り越してしまったのではと不安になり、適当に降りたところ二つ手前の駅だった。

田舎の線路なので次の電車が来るまでは後1時間以上ある。

仕方なく駅の近くのカフェで待つことにした。

スイスの駅Bonneville

電車の出発までは1時間以上あるので、駅前のカフェでビールを「ビエール シュルブプレ」とスタイルのいい女の子に注文し、外の椅子で山を見ながら時間つぶし。

太陽も輝いていて、どじった割には何といい気分なんだろう。天気もいいし、焦ったってしかたない。

駅を確かめて降りなくては。

駅は日本の様に改札口のようなものはなく、駅の構内への出入りも列車への乗り降りも自由で、すべては列車に乗っている車掌まかせである。

BonnevilleからClusesまで引き返し。

トーマスクックの時刻表はたのもしい。

トーマスクックThomas Cook Timetable

間違いながらもどうにか、フランスとスイスの国境へ着いた。ここで電車の乗換がある。

電車での初めての国境越えを心配したものの何のことはない、パスポートをちらっと見ただけでフランス側のホームからスイス側のホームへ。

税関の奴はいやに態度がでかい、最後に日本語でアッソーと言ったみたいだが、フランス語にもあるのか、これで二度目、アッソー。

 

14時40分にここAnnemassを出発して10分ほどで着く。

駅のバーで昼食、ホットドッグとカフェオレで9F。

電車はジュネーブの中心地からかなり離れたところに着き、駅前でどっちに行こうかときょろきょろしていたら、同じ電車に乗ってたフランス人だがスイス人だかわからないおじさんが

「あっち、あっち」

と指さしてくれたので

「メルシィー」

と言ってその方向へ歩き始めた。スイス人は冷たいなどと誰が言ったのだろう。

ジュネーブの街は美しい。20分ほど重いザックを背負って歩いていくと、ビルの谷間から水が吹き上げているのが見えた。

歩き着いたところがあの大噴水の見えるイギリス公園、チューリップの花も咲き、芝の緑、そしてレマン湖の青、灯台の白がすばらしくいい。ここの公園は本当に綺麗だ。

ジュネーブの噴水Geneve

スイス時間に合わせ時計を1時間遅らせる。

公園でベンチに座っていると、カップルがこれみよがしにいちゃつきながら、写真を撮ってくれと言ってきた。ピントも合わせず撮ってやった。

レマン湖の噴水

腹も減ったので、駅のロッカーにザックを入れて安食堂をさがしに歩き廻ったが、やはりスイスらしく時計屋ばかりが目に付き、安食堂らしきものは見つからない。

仕方なくマクドナルドにした。

 

McDonaldでハンバーグ2個とコーヒーで5Frs30の夕食を高いと感じながら、窓際の席で食べていたところ、ひとつ前のテーブルに座っていた、ヒッピー風の奴が寄ってきて俺の向かいの席に座った。

だが何も話さず俺を見ているだけ、一言も言わず俺の食べるのを見ている。

しばらくの間無視していたが、こんな気分の悪いことはない、いたたまれなくなって俺の方から話しかけてみた。日本語と英語、スペイン語で言ってみたが何の反応もない。全く不気味な奴だ。

相手が何も話さないのならこっちも黙りこくって、鋭い目で見返しながらハンバーグをぱくついた。内心心臓はどきどき、手が震え出さないかと心配だったが、動揺を見せてはいけないと睨み付けたままコーヒーをすすった。

金を取る気か、日本人に恨みを持っている奴か。睨み付けたまま、何もなかったように俺は店を出て、駅へ向かった。

後ろを追いかけては来ないかと心配だったが、店に座ったままのようだ。

ああいうときは今後、何も話さずに相手を睨み付けてやろう。せっかくのスイスの花の綺麗な良い印象も、あの馬鹿ヤローのおかげで悪くなってしまった。緑の芝や花があんな奴のおかげで泣いている、アホメ。

ジュネーブの大噴水Geneve

予定では2泊ぐらいしていこうかとも思っていたが、物価も高そうだし、変人もいるようなので、このまま夜行でニースへ向かうことにした。ジュネーブ発のニース行きは夜9時48分発。

 

ジュネーブの公園とパリの公園の違いは花にあるのかな、どちらも人工的に美しくしたものだが、ジュネーブの方があっさりしてて気持ちがいい。

それにしてもここジュネーブの物価の高さは異常なほど高い、マクドナルドで5Frs30と言うことは約3$12¢。

オレンジ2個とワイン1本とポテトチップで11Frs30ということは7$ちょっと、高い。これでは生活できぬ!今後のスイスでの生活が不安だ。

はたしてグリンデルワルトとサンモリッツで一日14$の生活ができるかどうか不安だ。

 

スペイン語を話した。駅のベンチに座り、売店で買ったワインを水筒に詰め、それをちびりちびりやりながらトーマスクックを見ていると、日本人女性二人がバルセロナへ行くので、どこで待てばよいのか聞きに来た。

ちょうどザックにスペインの国旗を貼った女の子がいたので聞いた。

まあ自己満足。けっこう通じる。ニースへ行かないでバルセロナにするか。

フランス語はさっぱりダメ、もうあきらめか。

ジュネーブからニースGeneve-Nice

20:48Geneve出発。

駅のベンチでトーマスクックを見ながら出発を待っていると、いつのまにか隣に座ってた女の子が

「英語を話せますか」

「ちょっと」

「良かった、みんなフランス語しか話さないので、不安だったわ、地図持ってますか?」

「ああ、持ってるよ」

と言ってトーマスクックの時刻表にでている、ヨーロッパ地図のページを広げて渡した。

「私はニュージ-ランドからきたの、あなたは」

「日本人だけど、どこからと言えばイギリスからかな」

「私はこれからフランスを廻って、イギリスに行くの、ちょうど良かった、どう廻ってイギリスに行こうか地図を見て考えようとしていたの、イギリスはどうだった。」

「まあ、いい国じゃないかな」

「これからどこへ行くの」

「ニース」

「ニース!私もよ、一緒にどお」

「一緒に?」

「ええ」

彼女は30歳ぐらいだと思っていたら、ユーレルユースを持っているとのこと、もう一度よく見たがどう見ても26歳以下には見えない。驚き。名前はジェニー。

「ちょっとトイレに行って来るから荷物を見ててくれる」

「いいわよ」

トイレに行って帰ってくると彼女の姿はなく、俺の荷物だけが置いてあった。

やられたかなと思い、ザックのなかを調べてみたところ、何の変わりもなく、一安心。疑って申し訳なかった。

ニースでの楽しみができたと内心喜んでいたが、残念なことをした。

 

彼女が戻ってくるのではないかと、しばらく待ってみたものの、出発の時間も近づいてきたので列車に乗り込んだ。

すると出発まぎわになって、ジェニ-が同じコンパートメントの席に来ようとして歩いてきたが、コンパートメントには男が他に4人いたので、彼女は手を振っただけでコンパートメントの中へは入ってこなかった。

compartimentこんな感じ

何の合図もなく電車は動き出した。初めての夜行列車、網棚にのせたザッグには網棚とザックをつないで鍵をかけ、貴重品はショルダーバックに入れ、背あて代わりに使っているので熟睡しても万全の準備完了。

 

電車が出発してしばらくすると、男どもと入れ替わり、コンパートメントにはフランスの女の子3人が入ってきた。一人美人、一人は日本的な物静かな女、一人はお転婆娘といった感じ。

眠くもならないし、と言って夜なので窓の風景も楽しめないし、手持ちぶたさでいたので、自信のないフランス語で彼女たちに話しかけてみたが、通じない。

英語で話しかけてみたがダメだと手を横に振る。スペイン語で話してみるとおてんば風の女の子が通じたらしく、大学でスペイン語を習っているらしい。

だがスペイン語に自信を持っていた俺だが、彼女の発音が悪いのか俺の耳が悪いのか、どうもうまく通じない。どうにか会話もできたがほとんどはジェスチャーだ。

しかし喜ぶのもつかの間で、相手は女、男より偉いと思っているのか、たちまち足を投げ出し、大きな態度で眠り始めた。俺は窓際に小さくなって目を閉じた。こんな時は1等に乗りたいとしみじみ思う。

 

何だかんだと不満な気分でいたが、いつのまにか寝入ってしまった。

明け方目を覚ますと4人のはずのコンパートメントには8人びっしりと乗っていた。

フランス人の女の子達はカンヌで、「オーボア」と言って降りていった。

 

1980年4月15日 雨 ニース-カンヌ、モナコ

NICE--CANNS--MONACO..BARCELONA 774KM

電車内ではうとうととして、余り眠れなかったが今は眠くない。

前の晩、夜行列車でジュネーブを出たときには星空が広がっていたのに、ニースに着くと青く澄み渡っているはずの空も海も小雨に煙り、どこから海なのか空なのか区別のつかない同じ鉛色をしていた。

風はないが、しとしとと降る4月の雨は冷たかった。

コートダジュールの青い海で泳ぐことを楽しみにやってきたのに、夢で終わってしまいそうだ。それでも駅前に並ぶ椰子の木が避寒地なんだと教えてくれる。

 

晴れていたら、ネットから

 

ニース駅の近くにあるインフォメーションへ今夜のホテルを探しに入ってみると、昨夜ジュネーブで別れたニュージーランド人のジェニーが、日本人のような女の子と二人で何か話をしていた。俺に気づいたらしく、手を振って迎えてくれた。

インフォメーションで紹介されたホテルは、駅から並木通りを少し行ったところにあった。一つ星の安ホテルである。日本の女性一人とジェニーとで3人でこのホテルへ。

部屋は大理石の階段を上った4階の10畳ほどの、やけに広々とした感じがするシングルルームである。35F、シャワーは別料金で2F。ニースでこの値段なら安い。

部屋の真ん中に鉄パイプのベットが一つあるだけだった。窓からはすすけた煉瓦色した家々の屋根が続いているのが見える。

 

午前中ベットに寝ころんで時間をつぶしていたが、雨は午後になっても止まなかった。

暇つぶしに傘をさすには大げさな雨の中、濡れたまま歩いた。

浜辺へ続く並木道のメインストリートには、フランスらしいしゃれたショーウィンドーや、おいしそうなお菓子屋が並んでいる。ベージュ色の建物が緑の並木にあっていて美しい通りである。

通りが終わると公園が広がっていた。公園の中の散歩道をさらに行くと海が見えた。

海岸に出ると風が強く、白波が立っている。天気の良い日なら浜辺で日光浴をする人の姿も見られただろうに、犬を連れて散歩する老人が一人いただけだった。何とも寂しい風景だ。

ニース

駅前に戻りカフェへ入った。駅前の通りを左へ少し歩いたところにあるしゃれたカフェである。店内はすいていて、店先に突き出たようにガラスで囲まれたテーブルに、通りを眺めるように女の子が一人座っていた。インフォメーションで見かけたもう一人の日本人女の子でだった。

「一人?」

彼女の腰掛けている隣のテーブルに席を取り話かけると、彼女は驚いたようにぼんやりと見つめていたコーヒーカップから顔を上げた。

「ええ、さっきはどうも」

ちょっとあわてたように彼女は言った。

「あの時、突然ジェニーと仲良さそうな日本人が現れたので驚いたわ」

彼女はそう言って微笑んだ。笑うとまだあどけなさが残る顔だった。

「俺も驚いたよ」

「ジュネーブでも会ったわよ」

「ジュネーブで?」

「ええ、ジュネーブからの夜行列車に乗ったでしょう」

「そうだけど、気がつかなかったなあ、列車の中で会いました?」

「いいえ、待合室で。何か真剣な顔をして手帳に書いていたわ」

「そうか。こうして日本語で話が出来るなんて良かった」

彼女は声を出して笑った。ちょうどやってきた真っ赤なベストを着たギャルソンが不思議な顔をしている。ビールを注文した。彼女はカフェオレ。

「そっちに座っていいですか」

ボーイが行ったあとで言うと、彼女は少し戸惑ったようだったが、「どうぞ」と言って椅子に置いてあった小さなバックを手にとって席を空けてくれた。椅子は一つのテーブルに二つあり、2人並んで通りを眺めるようになっていた。

正面のガラスには雨が当たり、通りをゆく人々がぼんやりとにじんで見える。

「ニースへは旅行で」と訪ねた。

「ええ」

「残念だね、こんな天気で」空を見上げて言った。

「そうね、地中海のコバルトブルーに澄んだ海を見たかったのに、本当に残念だわ」

そういうと彼女はコーヒーを一口飲んでぼんやりと通りを見つめた。

「長いこと旅行しているの」と尋ねると

「いいえ、ロンドンからミラノのおじさんの所へ行く途中の小旅行なの」

「ロンドンに住んでいるの」

「ええ、英語学校へ通ってるの」

「それじゃ旅行者でなく留学生か」

「そうね」

「一人で」

「そう、親に反対されたけど勉強だと言って出てきたの、でも本当は外国見たさね、でもロンドンではまじめに学校へ行っているのよ」

そういうと彼女は笑みを浮かべてすまし顔をした。このところ外人女性ばかり見ていたから彼女の横顔がまぶしかった。黒髪が肩まで伸びていて、時々見えるうなじが白く、欧米人にはない美しさを感じる。

「名前、まだ聞いてなかったよね、すずきです」

ギャルソンが運んできたビールを一気に半分近くまで飲んでから言った。

「私は良子」

彼女は名前だけを言った。

「いつまでにおじさんの家へ行くの」

「明後日よ」

「それじゃ明日はどうする」

「晴れたら海水浴、雨だったらどうしようかしら」

コートダジュール

そういうと良子は頬杖をつき、通りをゆく人を眺めた。

「あなたは旅行で」

通りを眺めていた良子が俺の顔をのぞき込むようにしていった、涼しい瞳だった。良子に見つめられると言葉がすぐに出なかった。

「ああ、のんびり気まま旅さ」

「いいわね、これからどこへ行くの」

「自由気ままさ、今の予定ではスペインのセビリアへ行こうと思ってる」

「セビリア」

良子は聞き返した。

「フェリアという女の子のお祭りがあるんだ」

「いつそのお祭りはあるの」

「来週だ、だから来週までにセビリアに着くようにすればいいんだ、それまではニースにいるか、バルセロナへ行くかどっちかだ」

「スペイン、いいわね、私もあこがれているのよ、一度でいいから本物のフラメンコを見たいわ」

「じゃあ一緒に行こうよ」

「ダメよおじさんとの約束があるから」

良子はあわてたように言った。

 

Monaco晴れていたら、ネットから

 

カフェを出ると二人でモナコ行きの電車へ乗り込んだ。二人ともどこへ行くあてもなかったので、モナコへ行こうと言うと良子も同意したのであった。

国境を越えるわけだが、パスポート検査も何もなく、通貨もモナコ紙幣はあるもののフランスフランも使える小さな国。自動車レースにはさほど関心を持ってない俺だが、モナコと聞くとモナコグランプリと頭に浮かぶ。

 

モナコの小さな駅を出ると小さな広場があった。フランスではなく、モナコ王国の広場である。モナコに着いてからも相変わらず雨は降っていたが小降りになったようだ。

駅を出ると良子は持っていた傘を広げ、俺に差し出した。

「外国で日本人の女の子と相合い傘が出来るなんて思ってもいなかったなあ」

「そうよ、喜びなさい」

モナコMonaco

良子はそう言って笑った。カフェを出てからの良子は砕けた口調だった。坂道を恋人気分で寄り添って下っていった。時々肩が触れると、俺は妙に緊張した。良子の髪の甘い香りがいけない。

モナコの街は建物の色と街全体のこじんまりとまとまった感じがとてもいい。

グランプリのコースを一望できるお城からの、赤瓦の屋根を見渡す景色もいい。

モナコモンテカルロMonaco

山がすぐに海に落ち込んでいるので、家々はすべて階段状になっている。坂道をどこまでも降りていくと港に出た。豪華なヨットが何隻も泊まっている。何時だったかテレビのレースで見たことのある港沿いのレースコースになる道を歩いて駅へ戻った。

モナコのヨットハーバー

「明日の朝、雨が降ってたら二人でバルセロナへ行こう」

「おじさんと約束があると言ったでしょ」

「明後日だろう、バルセロナで一泊しても一日しか遅れないよ、一日なら大丈夫だ」

「でも」

「雨のニースにいてもしょうがない、明日の朝9時にフロントの前で待ってるから」

「そんな。もし天気が良かったら」

「そしたら海水浴だ」

「海水浴はいいけどバルセロナはわからないわ」

モナコMonaco

部屋に戻ったのは21時を過ぎていた。モナコのレストランでちょっと豪華に食事をして、その後バーに入りビールを飲んだ。

良子と明日の朝9時に約束をしたが、良子ははっきりとした返事はしなかった。 

モナコモンテカルロの町並みは俺が今まで見た街で一番美しい街。コートダジュールでモナコ、ニース、カンヌの中で一番だ。南国的な雰囲気とあの赤瓦、青い海、天気が良かったらどんなに良かったことだろう。ニースへ来たかいがあった。

 

1980年4月16日 雨 ニース-カンヌ-モナコ-ニース-バルセロナ

ニース--カンヌ 片道31km

ニース--モナコ 片道16km

ニース 21:06発

バルセロナ 9:50着 774km Portbou乗換

NICE--CANNS--MONACO.Portbou乗換.BARCELONA 774KM

ニースは今日もまた雨。ホテル、Hotel de Franceの女の子が英語とイタリア語を話せて、とてもおもしろい女の子で気持ちがいい。

やっぱり旅は疲れるけどいい、いろんな人間と出会うから。

ニースからカンヌ、モナコNICE dep--CANNS--MONACO arr

朝早く目が覚めてしまい、ベットを抜け出して窓を開けて通りを見下ろすと、町はまだ眠っているかのように静まり返っていた。石畳に跳ね返る雨の音だけが聞こえる。7時少し前だった。雨だ。

シャワーを浴びてから荷物を整理し、それでもまだ9時までは間があった。ベットに寝ころんでタバコを吸った。

良子のことが気になる。はたして彼女はバルセロナへ行くだろうか。したごごろはない。と言ったら嘘になるがそれよりも今はただ、話をしたかった。

良子がフロントの前に降りてきたのは約束の9時を10分過ぎていた。

来ないのかと半分あきらめて待っていると、傘を手に持って良子がやってきた。良子は微笑みながら俺に近ずいてくると「遅くなちゃった」

俺は黙ってうなずいた。

ニュージーランド人のジェニーはロンドンへ向かった。

良子と二人でチェックアウトしたが、バルセロナへの電車は夜なので、カンヌへ行き、その後再度モナコへ行くとまだ雨。

モナコの街並み

グランプリのコースになる道を歩き港の方を散歩。宮殿でカフェオレとサンドウィチを食べ、15時頃またカフェでワインを飲んだ。

一人旅もいいけど二人旅もまたいい、まあ女性との二人旅なので楽しいのかもしれない。ニースの海岸を二人で散歩したが、晴れてたらもっとすばらしかったに違いない。それにしても海が綺麗、泳いでいる魚が見えるのだから本当に透き通っている。

モナコモンテカルロMonaco

外人女性は気安く話し相手になってくれたが、心の微妙な話となると、俺の外国語ではどうしようもなかった。心と心が通じ合えばそれでいいというものの、心だけでは伝えられないもどかしさが残った。こんな今までのもどかしい思いを良子に聞いて欲しい。

 

21時6分、発車のベルも鳴らずにバルセロナ行きの夜行列車は正確にニースを出発した。プラットホームには人々が手を振っている。別れがあった。列車はニースの町を抜けると闇夜の中を走った。

 

列車は闇夜の中を走っている。時々遠くに家の明かりが浮かんで見えた。コンパートメントには俺と良子の二人に、アメリカ人らしい若い女の子が二人いた。

「ついに乗っちゃたわね」

と良子が言った。良子は列車に乗ってからずっと窓の外を見つめたままだった。

「ああ、明日はスペインだ」

「おじさん心配するでしょうね」

「大丈夫だよ」

「そうね、一日ぐらい遅れたって大丈夫よね、そう思うわ」

良子はミラノとは逆方向のバルセロナ行きの電車に乗ったことを後悔しているようだ。

「私ちょっと疲れたわ、夕べは良く眠れなかったの」

「寝るといいよ、国境に着いたら起こすから」

「お願いね」

「シュラーフを貸そうか」

「いいわ」

良子は網棚に載せたバックからダウンジャケットを取り出して、膝の上にかけ目を閉じた。

列車は地中海沿いに西へと進んでいる。

「起きて」

「うん」

良子の声で目が覚めた。

国境に着いたら起こすと言ったのは誰だった」

良子はちょっと怒ったように言った。

「私より先に寝ちゃって」

「そうか、それよりどこだ」

「国境みたいよ、みんな降りてるわ」

あわててコンパートメントのドアを開け通路にでると、車掌がやってきてフランス語で何か言った。なんと言ってるのかわからないが、降りろと言っているようだ。真夜中だった。

列車を降りてプラットホームの中間にある待合室に入った。

待合室の中には列車を降りた人達が眠そうな顔をしていた。同室だったアメリカ娘のような二人もいた。

「彼女たちもバルセロナへ行くと言ってたわよ」

俺の視線に気づいたらしく2人を見て良子が言った。

「俺達と一緒だな」

「彼女たちやっぱりアメリカ人だって」

「アメリカ人旅行者は多いからな、日本人が多いと思ったらそれ以上にふらふら旅行しているよ」

「いくつだかわかる」

「そうだな23歳」

「残念、19歳だって」

「老けてるな、話したのか」

「ええ、彼女たちも眠れなかったらしく、あなたが寝てからずっと話てたの、寝てたのはあなただけよ」

「いつでもどこでも寝れるよう訓練したんだ」

「神経が図太いんじゃない」

そう言って良子は荷物の上に腰掛けた、そして俺を見上げるようにして微笑んだ。

「ところで良子はいくつ」

「いくつぐらいに見える」

「21だろう」

「コーヒーご馳走するわ」

売店からおいしそうなコーヒーの香りがしている。良子はそう言っただけで本当の年を教えてくれなかった、俺より間違いなく年上だ。

ニースからバルセロナNice-Canns-Monaco.Portbou.Barrcelona 774Km

1時間ほどの待ち時間でスペインの列車へ乗り込んだ。スペインに入った列車はなんとなく、ゆっくりとした走りだった。列車を乗り換えてからコンパートメントには俺と良子の二人だけだった。

「真夜中に起こされて目が覚めちゃったな」

「良く寝てたから眠くないでしょ」

「ひにくか」

電車はゆっくりと走っている割にときどき大きく揺れた。フランスとスペインの違いか。

「あなたのことはまだ聞いてなかったけど、学生」

「学生に見える」

「見えなくもないけど、社会人なの」

「会社は辞めた、辞めて旅行をしているんだ」

「もう長いの」

「会社を辞めてすぐだから8カ月が過ぎた」

「8カ月も」

「ああ、でも半分は働いていたよ、イギリスではファームキャンプでリンゴ取りをし、ニューヨークでは日本レストランで働いていた」

そう言って俺はタバコに火をつけ、大きく一息吸って天井に向かってはいた。

パリに着いてからずっと吸い続けている、フィルター無しのジタンと言うなのタバコである。どこからか風が入ってくるのか煙は揺れ動いていた。

「アメリカにも行ったの」

と良子は驚いた様子で言った。

「ニューヨークだけだよ、成田を出たのが昨年の9月、すぐにファームキャンプで働き、10月の下旬にニューヨークへ飛んだんだ。そして今年の3月までいて又イギリスへ戻って来たのさ。

それからパリに渡って1カ月ほどぶらぶらして、4月に入ってから鉄道旅行を始めたんだ。パリ、ジュネーブ、シャモニ、ニースそしてバルセロナだ、8カ月間の旅行の割にはまだどこも見ていない」

「どうして旅に出たの、観光、違うわね」

「友達にはヨーロッパアルプスへ登ってくると言ったけど、本当は何の目的もなくただふらふらとっさ」

「ふらふらして8カ月の旅」

そういうと良子は小さなため息をついて、俺の指の間から登っている紫の煙を見つめた。あきれてため息をついたのか、それとも他のことを思ってだったのか良子の溜息がわからなかった。

「ふらふらと言っても3年も前から計画してたよ」

「それじゃあ他に何か目的があったんでしょ」

「いや別にない、モンブランに登りたいと言う気持ちもあったけど、ただ日本にいて何もしないで時間が過ぎていくのがいやだったんだ。

会社にはいるまで陸上競技をやってて、その時は全力で陸上競技に打ち込んでいたのに、社会人になってからは何も打ち込むものがなくなってしまって、毎日がだらだらと過ぎていたんだ、男なら仕事に打ち込むのが当たり前なんだろうけど、自分の本当にやりたいことがわからないんだ。わからないから旅に出たんだ。何かつかめるような気がしてね。しかし別の見方をすれば現実からの逃避だろうな。

だけど今なら何でもやれるし、可能性もあると思うんだ、今22だからあと3年、25歳までに自分のやりたい、本当の何かを見つければいいと思うんだ。それまでは何でもやってみるつもりだ。この旅で自分という人間が少しでもわかればいいと思っている」

良子は黙って聞いていた。そしてしばらく間をおいて

「すてきね、私はあなたの旅に賛成だわ」

 

雨は止んだようだった。窓からは星が見えていた。

「ずっと一人旅?」まじめな顔をして良子が言った。

「ああ一人さ、でも行くとこどこでいろんなひとにであった、君とだってそうだろう」

「そうね、旅はやっぱり人との出会いが一番楽しいわ」

しばらくの間会話がとぎれた。良子は窓の外を見つめていた。

「これからどうするの」沈黙に困ったように良子が話し出した。

「スペイン、ポルトガル、を見て北欧へ行き、ドイツに入りさらに何かしてギリシャへ渡り、又戻ってスイスに入る予定だ、スイスではキャンプをして山歩きをしようと思っている」

「その後は日本へ帰るの」

「その後はわからない、日本へまっすぐ帰るかもしれないし、どこかで働いてお金を貯め、旅を続けるかもしれない。出来れば陸ずたいにインドを通って日本へ帰りたいな」

「男はやっぱりいいわね、私なんか親がうるさくて何もできないわ」

「そりゃ同じだよ、だから家には手紙を書くだけの一方通行にしてるんだ。居場所を教えたら必ず帰ってこいと言う手紙が来るから」

事実そうだった。ニューヨークにいた時、連絡は大使館宛に手紙を出すようにと、絵はがきに書いて送ったところ、不吉な手紙を送ってきた。祖母の具合が悪いから大至急帰れとのことだった。すぐに国際電話をかけたところ、その後具合が良くなり、元気だと言うことである。俺は旅を続けることにしたが、おばあちゃん子でそだった俺には気になることであった。だが旅の途中で帰りたくなかった。自分で納得するまでこの旅は続けていたかった。

 

つづき⇓