少しだけカメラを持っていた時期があった。

花を撮ったりしていた。

いつかは仏像とか懐かしい建物とか

散歩先で見つけた路地裏とか

撮りたいと思っていた。


撮った花の写真に

ワタシの残酷さが写りこみ

やめました。


ワタシの好きな世界観の写真を探しては

保存してばかりいた時期があります。


入院中に久々に

フォルダーを見返すと

誰かが撮った古い神社や

道端のお地蔵さんや鳥居や

田舎道の写真ばかり

保存されていました。


あの頃のワタシがどんな気持ちで

写真を眺めていたのかは

思い出せないけれど。


鬱が進んで

外出することも

人に会うことも

音楽を聴くことも

映画を観ることも

お裁縫することも

本を読むことも

出来なくなっていく毎日の中で

誰かが撮った写真を眺めることだけは

出来ていたことを思い出しました。


好きなことやものが

日々欠けていく恐怖や無力感の中で

"心が彷徨っても

この世界観を眺めればいい"

そんな拠り所だった。


フォルダーに残された写真の数だけ

ワタシは彷徨っていたのかもしれない。


あれもこれも望んでいたわけじゃない。

ひとつ。好きことやものを

そのままで居れるなにかが

ひとつあればよかったのに

今はもうない。


なにももたない肉塊。


今のワタシの

彷徨った先の拠り所は

扉と門。

この世にはない。


NO MUSIC NO LIFEとか云う人いるでしょ?

人それぞれにMUSICとかJOURNEYとか

MONEYとかあるでしょ?

それと一緒ですよと云えば

少しはわかります?

消えることが拠り所。