子供の頃のワタシを語る時

親や親戚が必ず云うこと。

「本当に手の掛からない子だった」

「ワタシちゃんみたいな子なら

三つ子でも育てられる」

「心配なんてしたことない」


親の愛を疑ったことはないし

愛情を持って育ててもらったと感謝してる。

病弱でやんちゃで不安定で

手が掛かりすぎた兄に付きっきりだったのは

幼心に分かっていた。

時に妹のワタシが支えても来た。

それに不満があったわけじゃない。


けれど。ワタシの状態が

家族に隠しきれないほどになって

助けを求めたときの苦笑と沈黙は

ワタシには失望でしかなかった。

兄にしていたようにはしてくれないのかと。


ワタシがおかしくなったと嘆かれて

冷たい人間だから愛されないと云われ

いつまで治らないのだと呆れられ。

それでもネガティブな出来事の

防波堤役を望まれる。

手の掛からなかった頃のワタシを望まれて

「出来ない」と泣いて訴えたワタシに

「めんどくさいこと云わないで」と言い捨てた。


家族でいる限り支え合うことが必要だけど

ワタシにはもうムリなこと。

もう冷めてしまった。

他人様に迷惑が掛からないように

お金を運んでなりすましているのがやっと。


話を聞いて欲しい時には聞いてもらえず

助けてほしい時に守ってもらえず

1人になりたい時に限って

勝手なワタシ像を振りかざして

お前は間違っていると指摘する。


みんな勝手だね。

手の掛からない子らしく消えたいよ。

冷たい人間だから何があっても

元気にしていると思ってた?

また誰かを裏切って厚かましく

暮らしていると思ってた?


ワタシは自分の勝手で

人に期待したり希望をみることは止めました。

「ワタシのことは誰も興味がない」ことに

気付いたし受け入れてます。

孤独を受け入れています。


ワタシが勝手なように

あなたたちも勝手なのだから

「ワタシには興味がない。

どうなっても構わないと思っている。」

と認めたら?

解放したいとか

自分を大切にしてほしいとか

穏やかに暮らしてほしいとか

綺麗事で隠さずに。


手の掛かる面倒な人間になって

ごめんなさい。