最後の妊娠をしていた時に

散歩した道を歩いた。


母子家庭だからって

後ろ指さされないように育てなくちゃとか

一人息子だからって

甘やかしすぎないようにしなくちゃとか

厳しく躾しちゃうお母ちゃんになる?

ムリだろうな。

べたべたに甘やかしちゃうんだろうなとか。

ダンゴムシとか飼いはじめたら

どうすればいいんだろうとか。

年頃になったら「うるせぇな、ばばぁ」

とか云える男に育てたいなとか。


イタすぎる想像しながら散歩した道を

今夜は半月の下歩いてきた。


お父さんがいないことを

大きくなった時に

この子はどう思うのだろうと思うと

歩く足は止まったし

刺繍をする手は止まった。


いつか自分のお父さんが

誰かのお父さんになって

笑いかけたり

あやしたり

遊んだり

甘やかしたり

自分に向けられなかった行為や愛情に

苦しんだり悲しんだりする日が

来るのかもしれないと思うと

ワタシだけの愛情で守れるのか

不安になった。

"片親"って表現をずっと変だと思っていた。

子供は一人じゃ作れないのだから

どんな子供も両親がいるでしょ?って。

けれど、

子供を作る自由と認めない自由の矛盾が

世の中に溢れている事に気がついて。

存在を認めてもらえない子供は

"片親"なのだなと。


この子が誰かと愛し愛される日まで

愛に寂しい思いをさせずに育てられるのか

ワタシに愛されている実感を

疑わずに居てもらうためには

どうしたらいいのか

不安になった。

想いを向けているたったひとりの人に

拒絶されていたから

尚更どうしたらいいのか不安になった。


それでも。

会いたいなって。

沢山ぎゅうとしたいなって

海の日を待っていた

あの頃のワタシを思い出しながら

今夜は半月の下歩いて来ました。


覚悟だけでは過ごせなかったけど

堕胎を、殺すことを考えたことは

なかったけど

自分の弱さから

子供を不安に晒してしまった自分が

本当にキライ。