最後に会ったのは

タカちゃんの形見を渡してくれた夜。

最後に声を聞いたのは震災の時の電話。

想いが果てたと感じた日。

覚えてるのはワタシに想いがあったから。

気配もなく去ったあの人の影に怯えて

あれから十年以上。


子供に手を合わせる時や

カズさんからの伝言を思う時に

あの人は浮かんだけど

顔も声も輪郭なくぼんやりするだけで。

カズさんのお母様が亡くなって

どうしようもなくなって此処に戻ってきて。

消えるために書き残してる時

あの人を思い出したりしました。


消し去って諦めるしかなかった想い。

ワタシはあの人に

悲しかった事や辛かった事を

忘れさせて欲しかったわけでも

助けて欲しかったわけでもなくて

ただ一緒に居たかった。

会いたいって素直に云いたかった。


あの人といると明日のことも

今日の自分のことも少し好きになれた。

これからが待ち遠しいなって。

何にもしてあげられないけど

ワタシが幸せにしてる姿を

見てもらえたらなって。

大した事も出来ないしダメな人間だけど

会いたいと云ってくれたら

飛んでいける自分で居たかった。

それなのに欲張っていく自分が

一人占めしたいなんて感情が出てきて。

ワタシを好きになって側にいて欲しい

と報われたいと望んでしまった。

どんなに想っても願っても叶わなくて。

どうしたら一緒に居れたのか。

自分があの人にとって特別な存在になれたら
どんなに嬉しい事なのかと思っていたけど。
そうではなかった。
「いらない。」と云われるまで
あの人は冷めてしまった。
想いを馳せる人の隣にいれるのは

自分ではないと痛感したときに

その人の幸せを願う事ができる

好きな人が幸せになってくれたら十分という

思いだけになれない自分をもて余したり。


公園で下を向くあの人を見て。

何か言葉を探すあの人を見て。

この人の心を曇らせず、迷わせず

下を向かせない人間に

ワタシはなれなかった事を思い出しました。

最後までなれなかった。


公園にあの人が居て

「いなくなる気がした」と云いました。

メールの送り主はあの人でした。

何故いまなの?

このまま気配を消したまま消えたかったのに。

探して欲しかったのは今じゃなかった。

「いらない。」と云った女の事なんて

今更ほっておいて欲しかった。

あの人が去ったあとも

会いたい日もそばに居て欲しい日も

たくさんありました。

流産の手術の時も何度も心のなかで

名前を呼びました。

眠れない時、落ちていく時も呼びました。

何度呼んでもあの人も子供も

何も応えてくれませんでした。


何故伝えた流産を「うん。」の一言で終らせたの?冷めてしまったから?

多分あの人はこの流産した子を忘れていると。

忘れることは悪いことじゃないし

生きる上で忘れたいこともあるから

あの人を苦しめるなら忘れてくれていい。

それでも、

言えずに胸の奥底にしまい込んだ言葉たちが

ときどき湧き上がってきて

言えずに飲み込んだことを

悔やむことしかできなくて

その言葉たちを

浄化してあげない限り続く後悔に

消耗してしまいました。

伝えても受け入れて貰えない怖さに

蹲っている間に

ワタシはワタシを失くしてしまいました。

「うん。」の一言でワタシも子供も

この世にいない存在になりました。

ワタシが子供を巻き込んだんだね。

想ってもらえるワタシだったなら

子供を悼んでくれた。「うん。」じゃなく。


少し混乱してるかな。

頭がごちゃごちゃする。

息苦しいな。

 

ワタシは楽しかった幸せだった思い出を

自裁した日を境に忘れてしまったけど。

覚えてるのは

あの人は

ワタシが生きてる事を

見ていて欲しい人でした。


今は生きていないから

そんななりすましのワタシを

最後に見せたくなかった。