亡くなったカズさんの形見はない。

正しく云うなら、

今はカズさんの形見はない。



生前の彼の強い意志で仏壇やお墓もない。

「土に返るのに骨壷はジャマでしょ?」が彼の考え。


ご家族も彼の考えを尊重し、骨は広い大地に撒いたそうです。


だからワタシはカズさんの命日なんかには

空に見上げたり、星を見上げたりしながら手を合わせます。


その行為は時に空しく、時に滑稽です。



亡くなった後、カズさんのご家族が形見にと目覚まし時計をくれました。


教会の前にカズさんと一緒に置かれていた目覚まし時計。

あの日、カズさんの横でジリジリ鳴って

カズさんの存在を皆に知らせた目覚まし時計。

カズさんの部屋の寝室にそっと置かれていた、動かなくなった目覚まし時計。

「俺には音が聞こえないから 無用の長物だけど」と云いながら

ずっと寝室にあった目覚まし時計。



「頂くわけにはいかない」

何度も何度も云ったけど、ワタシの手に渡った目覚まし時計。




今はワタシの元にはありません。



形見の時計も、写真も手紙も、カズさんから貰ったものも

何も、何一つワタシの元にはありません。



ワタシが処分しました。



カズさんを思い出させるものたちを

発作が起きた時ワタシが燃やしてしまったのが半分。

とても後悔しました。

いつかは手放す事になっても、あんな発作が起きた おかしくなったワタシで

燃やしてしまったのが悔しかった。




残りの半分は去年、ワタシの意志で処分しました。



カズさんとの思い出が詰まったものはゴミ袋の中へ。



ワタシ自信の意志で行った事です。

そうして生きていこうと決めて 行った事です。



一つずつ手にしながら、思い出しながら

ゴミ袋の中へ。




わあわあ泣きながら。

何の涙か分からないけど、バカみたいに泣きながら


一つずつ ゴミ袋の中へ。



聴覚に障害があるカズさんとの会話に困った事はなかったけれど

今ほどパソコンや携帯でのメールなんて なかった頃は

FAXのやり取りをよくしていて

その当時のFAXや手紙が沢山出てきました。



読み返しながら、思い出して

わあわあ泣いて。




そうして、そうやって カズさんの匂いを消して

生きていこうって決めて ゴミ袋へ。



「それでいいんですよ」ってきっとカズさんはいつものように

笑ってくれると思いました。


少し不機嫌に淋しがるかもしれないけど

「それでいいんですよ、必要ありません」とあの顔で笑ってくれると思いました。



いつでも、急かさず押し付けず、マイペースすぎるワタシが

決めるのをじっと待っていてくれたカズさんだから

「あなたが決めたとおりでいいんですよ」って笑ってくれると思いました。



そして いつものように

「でも 次からはもう少し早く決めてもらってもいいですか?」

って大げさに困った顔を見せた後、笑ってくれると思いました。




今は何もありません。



そして。

あの時 泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて 決めた生き方を

今のワタシは外れて生きています。




本当に今は何もありません。




カズさんが乗っていた車を見かけたりすると

心が隠れてしまいます。

カズさんがしていた腕時計を見かけたりすると

下を向いてしまいます。

カズさんがいつも使っていたスケッチブックを見かけると

歩けなくなります。





カズさんがワタシに送ってくれた全てに彼の心が宿っていたのに。




今は何もありません。




「さて、では どうしますか?」

ってあの頃のようにカズさんが云ってくれているとは思えません。





目覚まし時計はご家族に返しました。

今、あの時計がどこにあるかワタシにはわかりません。

もしかしたら、カズさんと同じように広いことろに眠っているのかも。







ドコデスカ?