薬屋です。

カズさんの命日に。

企てなんて残しやがってと

カズさんに少なからず黒い感情を抱いていたが 

従兄弟さんから話を聞いて

心底同情した。


抗がん剤治療の影響で

子作りは当然、性欲も減退するし機能も低下する。

薬屋だから理解している。 

長くカズさんは治療をしていたそうだ。


惚れて大切にしてきた女が

目の前で血を流して道に倒れ込み

妊娠していると残酷な懺悔の告白を口にする。

普通の恋人同士なら自分の子供と思える状況も

カズさんとワタシさんの二人にはまるで違っただろう。

その一言がどんな意味を持つのか、

あまりに重く辛い。 


俺なら「大丈夫だ」と抱きかかえてキス出来るか? 

俺も妻の不倫を経験した。

少なからず、カズさんの心を理解出来るかと思ったが
考えて、考えて、考えたけど俺には無理だ。

心底、カズさんに同情した。 


カズさんは本当に心底 

ワタシさんに惚れていたんだな。


残念だ。

カズさんがワタシさんの幸せを願って

伝言を託した男は

いらねえって捨て去って 足らず 

戻ってきてぶっ刺して行ったみたいだ。

 

「カズを聖人君子だと思うな 

そこらへんにいるような男じゃないけど、

人を信じすぎて、このザマだ。」

従兄弟さんは言い捨てた。 


ワタシさんが自身が冒した罪を許すわけない。

許せるわけなかったんだ。 

あの野郎にだけは許して欲しかったのか。


カズさんの墓参りさせてもらった。 

花が沢山で挿すところがなかった。 

この墓の前にあの二人で揃って

手を合わせれば済んだ話だったのか。

残念だったな、カズさん。

本当に残念だ。


薬屋です。

去年の5月の日付で残っていたブログ。

ワタシさんの鬱は楽観出来るものではなかっただろうが、彼女は長く患う中で対処方法を手に入れていたと思う。

それより彼女を苦しめたのはトラウマのフラッシュバックと壊れた自律神経だったろうと思う。

色々な症状に彼女は振り回されていた。

5月の気候は耳や頭や顔に出やすいと話していたな。


カズさんの実家で

出会う前のワタシさんの写真を沢山見た。

勿論、若さもあるだろうが

俺の知らない表情ばかりだった。

まあ簡単に言えば、ワタシさんは笑っていた。


自分の顔が大嫌いだと話していたけど。

昔のような笑顔とは違ったかもしれないけれど。

俺の知っているワタシさんの顔は

弱さを他人のせいにしなかった

せこさや狡さを正当化しなかった

何より、その上で自分の人生を引き受けた

そんな顔つきだった。

腑抜けた顔ですました顔で

満足気にラッパ吹いてるあの野郎とは

ハッキリ違ったよ。


今どんな顔してる?

たまには笑えているか?

顔の左側がうまく動かない。

歯磨き粉が垂れてきたり

ジュースこぼれたり。


針を打ってもらったけど効果なし。

先生に勧められた顔ヨガを

鏡を見ながら試してみたけど。

子供殺した女の顔が気味悪く動いていた。


男みたいな頬骨に

浮腫んで頬に

垂れた顎。

シミだらけ皮膚に

ぼんやりした目。

上がらない口角は人を不快にするし

閉じない口元は誠実さから掛け離れている。



気味が悪い顔




薬屋です。

去年の4月の日付で残っていた下書。


ワタシさんと酔っ払い花屋さんを知る人に

会うことが出来た。


あの頃のワタシさんにとって

彼がどれ程の救いで支えだったのか。


この先、子供を持つことを諦め

喪失感の中に居たであろうワタシさんが

日々を過ごせたのは

大切な友人の彼が居たからだろう。


俺がワタシさんと出会ったのは

震災のボランティアだった。

彼が亡くならなければ

出会わなかっただろうと思ってきたし思っている。

これも縁というのか。


不思議な縁はもうひとつ。

彼もpassingのライブに行っていたということ。


髪が切れない間のワタシさんの前髪を

切っていたのは彼だったそうだ。

彼は触れることを許されていたのかと。 


嫉妬なのか悔しさなのか

「あーあ」と声に出してみたりした。

生きた花をいただくと

その後しばらく花の余生への責任が生まれることが

何となく億劫というか、気が重く感じると。

だからといって、手間いらずで長く楽しめる

ドライフラワーの方が好きというわけでもなくてと

欠陥人間丸出しの話を酔っ払い花屋さんにした。


酔っ払い花屋さんはににこにこしながら

「それはワタシさんが

つぼみが開いて、花が咲いて、枯れて落ちるまでを

全て見逃さずに見ているからですよ。」

と云いました。


「華道は殺生」

酔っ払い花屋さんはいつも話していた。


「根を張りつぼみをつけた場所から切り離して

生けるなんて人間のエゴ以外の何ものでもない。

鑑賞用だなんて身勝手にカテゴライズし

これからも消耗し続ける。

それでも花を生けることを俺はやめられない。

億劫に感じるくらいが多分健全ですよ。」


酔っ払い花屋さんが話してくれてから

特定の日に意味を持たされた花が

しばらくその余韻を部屋に漂わせた後に

跡形もなくなるその過程も悪くないなと思った。



自分が知らないことを知ってる人に惹かれるのは

知識量とかではなくて

今いる場所がすべてではないってことを

感じられるからなのかもしれない。


本が読めなくなっていくワタシに

「読解力がなくても想像力があるから大丈夫」

云ってくれた酔っ払い花屋さん。


酔っ払い花屋さんからは

そういうことを沢山教えてもらった気がする。

もっと沢山教えてもらいたかった。


会いたいな。

会いたい。