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松平慶子は、ワクワクしていた。もうすぐ、今より55歳も若い、25歳の自分と会えるのだから。
宅配便が来たのは、夕方5時を少し回った頃。
松平家の、自動で開いた大きな門をくぐり、玄関までの長い一本道を、黒猫の絵の描かれた保冷車が走る。
やがて、高級ホテルのエントランスの様なガラス張りのドアの前に、車を横付けした。初老の執事と思われる黒服のお爺さんが、さっと駆け付け、所用を為す。
保冷車から、二人が降りてきて、背の高い車の左横のドアをスライドさせて開けると、2メーター以上の高さのある長方形の木枠の箱を、運び出す。大きさのわりには、そんなに重くはなさそうだ。
玄関から、同じく黒服の、こちらはまだ若いふたりの男が現れ、押してきた台車にそれを載せる。
先のお爺さん執事に、受け取りを任せて、ふたりは玄関のガラス張りの自動ドアの中に運び入れる。
まるでロビーのような広いホールに、松平慶子は、待っていた。
ソファから立ち上がると、
「さっ!早く中を見せておくれ」と息を弾ませる。
注文してからおよそ2週間。日本で買える新車の納入期間が、それくらいだろうか。それでも、松平慶子は、一日千秋の思いで、この日を待ち焦がれていた。
一昨日に、最後の微調整のデータを送信していた。先払いの7億円もH&A社に振り込み済みだ。
箱を開けている間に、松平慶子のそばに銀縁眼鏡の30代の女性と、やはり同じ年頃の、綺麗に髪を結い上げた女性が近寄り、一礼して、作業を見守る。どちらも、やはり黒服のスーツに、タイトな膝上のスカートを履いている。
手にはタブレット端末を持っており、その画面には、「H&A社、アンドロイドの取り扱い説明書」が表示されていた。もちろん、「松平慶子専用のアプリ」だ。
「まぁ、わたくしの若い頃、そのままだわ」
まだ、透明なビニールの中の女性の裸体を見て、松平慶子は感嘆の声を漏らす。
「とてもお美しいです」
髪結いの女性がそう言うと、銀縁眼鏡も、頷く。
「それでは、失礼します」
銀縁眼鏡が、ビニールの袋を、上へと外す。
松平慶子の25歳の頃を模したアンドロイドは、背中に設えられた円柱に、幾重もの柔らかな紐で括られていた。
紐の渡す場所には、白い布が挟まれていて、限り無く、商品が傷つくことを避けている。
髪結いが紐を切っても、アンドロイドが自立できることを確認して、慎重に紐にハサミを入れる。
待つ間、松平慶子は、クリスマスプレゼントを待つ子供のように、そわそわと右に左に歩き回り、手揉みを繰り返す。
「とりあえず、慶子さまのワンピースを、かけさせていただきます」
銀縁眼鏡がそう言うと、アンドロイドに頭から、薄緑色のワンピースを被せる。腕を通すことなく、ただ被せる。
「それでは、お待たせしました。起動します」
多少の充電はされていることを承知で、銀縁眼鏡がタブレットの中の「起動」スイッチを入れる。
ゆっくりと、目が開く。
青い光が白眼に走ったが、一瞬だ。
微かだが、低周波のモーター音も、聴こえる。
「さぁ、25歳のわたくし。こちらへ」
松平慶子は、アンドロイドの正面で両手を広げて、満面の笑顔で、迎える。
アンドロイドの首が動き、次いで目が、松平慶子に向けられる。無味乾燥な視線を投げると、アンドロイドが、一歩を踏み出す。
「さぁ、さぁ!」
松平慶子は、体をブルブルと歓喜で奮わせ、その声は甲高くなる。
「カモーンっ!カモーンっ!」
なぜか英語まで飛び出す。
髪結いと銀縁眼鏡は、互いに顔を見合わせ、アンドロイドが、日本語仕様になってることを、伝えるかどうか逡巡(しゅんじゅん)する。
その時だった。
いきなりアンドロイドが、松平慶子を突き飛ばし、いや、正確には、アンドロイドが進もうとする先に、松平慶子が、タマタマ立っていて、突き飛ばされた様な感じになったのだけれど。
とにかく2メートルは、ピカピカの床の上を滑るように、弾き飛ばされた松平慶子は、目を真ん丸にして驚き、でも口元にはまだ、笑顔の欠片が残っており、微妙な表情のまま凍りついていた。
異常事態に銀縁眼鏡も髪結いも、とっさには、動けない。
受け取りに出ていた、黒服の男性たちも、アンドロイドとはいえ、梱包は裸で来ると聞いていたから、遠慮してその場には居なかった。
3人の呆気にとられた女性を残して、薄緑色のワンピースを着た25歳の松平慶子は、門をくぐり、外に走り出た。
出てしばらくは、雑木林の中の一本道をひた走る。
するともうひとつの門が見えてきた。
松平家の、外門だ。
横には、プレハブの地所が設けられていて、ここにも初老の、警備服を着たお爺さんが、いた。
ちょうど、黒猫の保冷車が出ていくところで、門は開いていた。
地所の電話の内線が、鳴る。
警備のお爺さんが、黒猫の車の中の二人に、手をあげて挨拶する。
その車と地所の間を、ワンピース姿の女性が、走り抜けた。
「はい。こちら外門」
受話器をとった警備員が応える。
「門を閉めて!アンドロイドが、逃げ出したの!」
いつも聞く、女性の執事の声だが、叫んでいるようだ。
「どうした?アンドロイドって、なんです?」
警備員は、知らないようだ。
「とにかく、門を閉めてっ」
言われた通りにしなさいと、言わんばかりだ。
門を出てすぐの道端に、黒猫の保冷車が止まり、中のひとりが地所に近づいてきた。
「あのー」
「なんですか?」
電話を置いた警備員が対応する。
「今、走っていった女性ってもしかしたら、アンドロイドでは?」
見た感じが、走る感じが、人離れしてるように思ったのだろう。配達員はそう訴えた。
それを聴いた警備員は、目を見開き、
「ほんとですか?まずいぞっ」と内線を入れる。
「い、い、今、たった今、アンドロイドが外へ、走り出していきましたっ。ちょうど、宅配便が出ていくところと重なりまして」
受話器を持ちながら、平身低頭だった。
真っ赤になった顔の警備員に、受話器の向こうの罵声は、夏の花火のように鳴っているに過ぎなかった。
街の中に出た。
街路樹のある二車線の道路が走り、背の低いビル群が、いならぶ。
その、歩道を25歳の松平慶子のアンドロイドは、歩いていた。
やがて、路肩にハザードを出して停車している軽の箱バンを見つけると、近寄っていき、後部のスライドドアを開けた。
「ようこそ、初めまして、伊藤直樹君のお母さん」
運転席の前薗爺さんが、笑顔で出迎えた。
「2016年8月25日」
Koichi Tanaka KAGOSHIMA. Has written a novel