*このお話はフィクションです。

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   万里子(まりこ)は、真彦の病院見舞いに来ていた。
「学校でめまいがして、それでも母ちゃんとふたりで、歩いて病院まで来たんだけど、いきなり入院しろって言われてさぁ」真彦は枕を腰に充てて、ベッドに座って話していた。
「どんな病気なの?」万里子は不安げな顔で訊ねる。
「今、母ちゃんと先生が話してるよ」真彦は、いつもと変わらぬ飄々とした表情で、応える。
   今日の体育の授業中、グラウンドでサッカーをしていた男子の方が、騒がしくなった。
   万里子たち女子も、体育館でバレーボールの授業の前に、グラウンドを二周走っていたから、その騒ぎに気づいた。
   体育の授業が終わってから、教室で他の男子に、倒れたのが真彦だと知らされた。
   早退したけれど、自分の足で帰ったよと、男子の友達が笑って教えてくれたけれど、あとの二時限の授業は、万里子の頭のなかには入ってこなかった。
   放課後の部活動をなんとか誤魔化して、今、病院にいる。
「高校受験前に、大したことないといいけど・・・」どこまでも心配な万里子に、
「大丈夫、大丈夫」と屈託のない笑顔の真彦。
   万里子は真彦のこの笑顔が、好きだ。いや、全部が好きだったけれど、幼なじみだったから兄妹みたいで、どこからが好きな感情なのか、わからないでいた。
「喉乾いたな」と真彦が言うから、
「一階の自販機で買ってくる。いつものだよね?」と、すでに腰を浮かせて万里子は、出口にいた。
   おぅっと、真彦の返事を聞くと、三階から階段を駆け下りる。
「彼女かい?」
   四人部屋の窓側のベッドの真彦に、通路側の斜め前のベッドの、四十がらみの男性が訊ねる。
「あっ、いや、幼なじみです」座ったまま、背筋を伸ばして応える。
「気の利く子じゃないか。行動も早い」と褒めるものだから、
「万里子って言うんですけど今度、鹿児島市内に、歌の番組が来るんですけど、それに出るんですよ」と、近々の情報を教える。
「おっ、あれだな。『あなたもスターになりまショー』だろ?凄いじゃないか、人気番組に出るなんて。歌が上手いんだな」
「万里子は、普通の歌じゃなくて、島唄を三味線を弾きながら唄うんですよ」
「そりゃすごいっ」おじさんが、身を乗り出すのがわかって、真彦も万里子から聞いた話を、話始める。
「万里子からの受け売りなんですけど、奄美の島唄で『神歌』『童歌』『民謡』ってあるらしくて、島唄は『民謡』のことを言うらしいです」
   おじさんは笑っているけれど、わかっていなさそうだ。それと気づいて真彦も、話を変える。
「島唄って言っても、島の唄じゃなくて、奄美のそれぞれの集落の唄って意味らしいです。島口(シマグチ)っていう方言で唄う島唄は難しいらしくて、万里子が唄うのは最近の島唄だって、言ってました」
「なるほど、なるほど」
   これだけは言わなければと、真彦は続ける。
「三味線は、沖縄の三線(さんしん)とは違って、少し大きくて、弦が黄色く、撥(ばち)は竹を削ったものが、使われるそうですよ。音も響くし澄んだ音色だと言いますね」
   少し、得意満面になってやしないかと、顔を片手でなぞる。
「詳しいな」やっぱり彼女なんだろと、問われて、
「幼なじみです」と頑なに答える。
「三味線は、部活動でやってるから、その辺りから島唄にひかれたみたいです」真彦はそう言って、スマホを操作していたが、すぐに画面をおじさんに向けて、言った。
「この写真の女性歌手、唄者(うたじゃ)と言うんですけど、奄美でも有名な方で、この人に憧れてるみたいです」
   そこには、大島紡ぎの着物を着て、三味線を弾きながら唄う姿の、まだ若い「唄者」が写っていた。
「シマンチュとか、言うんだね。勉強になったよ、ありがとう」
「いえ、そんな・・・」
   そこに、真彦の母が帰って来た。
   入り口のおじさんにお辞儀しながら、真彦のベッドまで来ると、鼻から長い息を吐く。
「どうだった?」と、訊く真彦に、
「軽い貧血だってさ」と、答える母。
「点滴射って、帰っていいそうだよ」
   言いながら、丸椅子に腰掛ける。
「それは、良かった。実は、私はここに来てから長くてね。うちの妻には、迷惑を掛けてて」
   点滴を射つ間、真彦の母はずっとおじさんの身の上話を聞いていた。
   悲しい身の上話に、ふたりは感情を抑えるのに、苦労した。
   そこに、万里子が帰って来た。

                                                     つづく