友達の母親が亡くなり、
親族以上に号泣のはちだったことが、友達には嬉しく思ってくれたようで
だからこそ喪中の葉書を出しても長い付き合いの友達からは、なんの一言も無かったことにがっかりというか、疑問に思ったようです。
でもはちは人に感情移入しやすいし、そこが良いのか悪いのか悩むところです。
亡くなった友達のお母さんは、実の母から虐待受けていたはちには、ある意味お手本でした

うわべだけの子を思いやる言葉ではなく、心の底から伝わる愛情に
はちもいつか母になったら子供をめいっぱい愛したい

と思わせてくれる人でした。そんなはちも今は実母と普通にやってますが、お墓は別にしたいと感じてます。
今でこそ役所の責任まで問われる虐待ですが、
はちの保育所時代からの心の傷は保育所の先生一人が気づいたくらいで
中学3年時なんて特に最悪でした


親子って多少の感情のズレはあると思うけど、そこに愛情がないとは限らないのに、色んな人が虐待受けた!て言うのが苦しく感じます。
特に悪いこともしてないのに髪を引っ張られ振り回され、小学生時には毎日頭や顔を叩かれ、目が腫れた状態で通学してました。
そんなはちだけど、
友達の喪中の葉書出して何も言わなかったのは、日々の生活に追われ自身のこと手一杯だったんだよ!て励ましたつもり。
そして何より校長自ら挨拶もしない、ある種の無視が我が子にあったのですが、
そんな学校で卒業させたくなくて都会に来ました。
ま、下の子が荒れてたせいでお姉ちゃんにとばっちりきたんですがね。
子供を守るのは親。
でも親だって守れる力が無かったら周りの誰かが助けてあげて欲しいと感じてます。
情けないことに地元校では、噂を作るのが上手い小学生が親にそのまま話して、はちの長女の人気を妬み大変でした。
が、こちらにきてイジメはあったものの、
無視する話に部活であり、ある子二人が悩んで母親に話したところ、
「それは良くないよ!応援行ってあげなよ。」
と、まともなアドバイスをくれた事がきっかけになり、凄く仲良くなることが出来ました。
意地悪する子は大体嘘つきでした。
それを親がどう判断するか大事ですよねー
こんなふうに思わせてくれた友達のお母さんには亡くなった今も感謝してます

あの時、誰も居なかったらはちは生きてなかったかもしれないし。
自殺の話を毎日のように聞いたりすると悲しいです。
辛くてもいつかは見える希望を信じて休み休み歩いて欲しいです
